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2008年2月15日オープン
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3月28日の日曜日に甲子園球場まで春の選抜高校野球の応援しに観戦しに行ってきた。

本当に最高な一日だった。
今までに観戦しにいったことは何回もあるが、こんなに完璧に応援したチームが勝ったことは初めてだ。
今までは1チームくらいは必ず負けていることが多かったのに応援したチームが完全に勝ったのは生まれて初めてだ。

まず、第一試合は秋田商業と北照高校の北国のチーム同士の対決になった。
この試合はどちらも好きなチームだったからどちらが勝ってもよかったのだが秋田商業はベスト4にも勝ち上がっているのに対し北照は一度も甲子園で勝ったことがないから北照高校を応援した。

試合は北照高校がタイムリーヒットの1点と又野投手のホームランの2点を守りきって秋田商業に勝った。

第2試合は敦賀気比がヒットを続けて3回に3点取って5回に追加点を3点取って試合を有利に進めたが花咲徳栄が6回とに3点と8回に2点取って追い上げたが9回に敦賀気比が9回に1点を取って逃げることができた試合だった。
この試合も、どちらも好きなチーム同士の試合だからどちらが勝っても良かったが、ただ第2試合の前にかまどや甲子園店が大量の弁当の注文で11時30分まで休店していたせいで昼ごはんを食べていなかったから花咲徳栄が9回に反撃しているときに花咲徳栄には悪いが同点に追いついて延長になったらどうしよう、このままじゃ何時に昼ごはんが食べられるか分からないから、ここであきらめて負けてくれと祈ってしまった。ほんとに花咲徳栄には悪いことをした。

第3試合は日大三高が和歌山の向陽高校に2回に2点と5回に1点をヒットを重ねて点を取り
向陽高校が4回に1点を取り3-1で日大三高が勝った試合だった。これも最初はどちらが勝ってもよかったのだが、応援団の数が余りにも違いすぎたので向陽高校の大応援団に比べて日大三高の応援団の数が余りにも少なかったのでこれでは不公平じゃないかと日大三高のほうを応援してしまった。まるで敵地で戦うサッカーの日本代表のように日大三高が見えたのも大きく影響していたのだろう。
しかし、この日は応援したチームが全部すべて勝った珍しくて超最高な一日だった。
こんな日はまずめったにない日だろう。
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今年は最高に素晴らしい春の選抜高校野球の幕開けとなった。

開会式の直後の第1試合から敦賀気比が、僕があまり好きではない天理を撃破した。
前半に天理が3点を取った時には、いつもの通りに天理が勝つのかと思っていたら前半に1点を返して5回に敦賀気比の打線が爆発し、一気に5点を取って大逆転!その後にも着実に加点していって天理を撃破した。
敦賀気比が勝てるとは思ってもいなかっただけにもう嬉しくてしょうがない!!
まさか天理が負けるとは思ってもいなかったので、やはり野球でも何でもスポーツはやってみなければ結果は分からないものであるという典型的な例だろう。

第2試合は今大会に2校選出されている沖縄県の高校のうちの一校の嘉手納高校と花咲徳栄との試合だった。花咲徳栄が早い回から得点して7回にも2点を取って試合を決めた。
中学生の時に全国制覇したことのある嘉手納高校のバッテリーは前評判どうりの力は出していなかったようだ。
80パーセントを米軍基地に取られて条件の悪い町から出て来て秋季大会の九州チャンピオンにまでなったチームなんだからこの春の敗戦を生かして欲しいと思う。
バッテリーはいいんだからあとは打線の援護が欲しい。相手の五明投手が完璧な投球をしていたのは確かだがもう少し打線に奮起して欲しい。打線がもっと良くなったら夏も狙えるかもしれない。まあ、あの島袋投手と戦わなければならないから大変だろうけど。

第3試合は21世紀枠で春夏初めての初出場の山形中央高校と春の優勝経験もある日大三校との試合だった。
この試合は日大三校の圧勝に終わった。
初回に山形中央が2点取っていい試合になるかと思ったが、日大三校は初回こそ0点に抑えられたものの2回には連続長打ですぐに同点に追いつき、3回にはツーランであっさり逆転して5回に山形中央が同点にするとその裏にすぐに長打でつき離し8回には止めのツーランで試合を打って14-4という凄まじい試合をした。
ピッチャーは13奪三振をとったものの、いまいちな内容だった。
しかし、守備もなかなかのものだし打線も強力だし、もしかしたら優勝候補に名乗りをあげるかも知れない。
好投手と言われていた横山投手から14点も取れるんだからしかも得点をあげたのは全て長打でツーラン2本とホームランを二本も打つんだから素晴らしいチームだと思う。

先週の金曜日に金曜ロードショーでマリと子犬の物語という映画を観た。実話をもとに映画化した感動作で、犬のマリと子供達の心の交流がよく描かれていた。

内容に入るが主人公は山古志村に住んでいる小学生で役場で働くお父さんとりょうたとあやと農業を営むお祖父さんの四人暮らしの家族で、お母さんはりょうたとあやを産んでから死んでしまってもういない。

りょうたとあやは豊かな自然に囲まれてすくすくと育っていたある日のこと、りょうたとあやは遊んでいる時に捨てられた一匹の子犬と出会った。
二人で一緒に遊んだあと、りょうたとあやが家に帰ろうとすると子犬もなついて後からついてきた、なんとか追い払おうとしたり急いで走っても、やっぱり後からついてくる。
あやとりょうたは子犬が可愛くなってなんとか家で飼いたいのだがお父さんが大の犬嫌いでとても家で飼えないので仕方なしに近くの空き地でお父さんに内緒で飼うことにした。
そこで作戦を立てて祭の日におじいさんを子犬の所へ連れて行ってこの子犬が欲しいとねだり、おじいさんもりょうたとあやの好きなものをなんでもあげると、約束したから仕方なしに家に子犬を連れて帰った。
お父さんは、大の犬嫌いで反対したが、多数決で押し切られあきらめて家で子犬を飼うことを認めた。子犬の名前はマリと名付けられた。りょうたとあやと家族達に育てられてマリはすくすくと育ち、そのうち成犬になって母親になった。
家族とマリは幸せに暮していたが、ある日の夜に大災害に見舞われた。あの新潟県の中越地震だ。マリは異変に気がついて吠えて家族に知らせていたのだが、だれも気にもとめなくて地震にあってしまった。りょうたは避難所に着いたが、あやとおじいさんは家が倒壊して生き埋めにされてしまった。
必死に家族を助けようと頑張るがどうしようもない、そこに自衛隊の偵察兵がやってくる。必死に助けを求め、一人の兵は相手にしてくれなかったが隊長は主人を助けてくれというサインだとわかり家が倒壊現場に駆けつけて、あやとおじいさんを助けてくれたが、おじいさんは怪我の具合が悪く急いで病院に搬送しなければならない状態だった。
それに、気流が安定せず長くはヘリコプターの位置を維持できない状態だった。そこで着陸はせずに、おじいさんとあやとおじいさんをヘリコプターに吊り上げて助けてくれたが、マリと子犬達は置き去りにせざるをえなかった。あやは泣いて嫌がったが隊長に説得されて諦めた。

それから、マリは生きるためにカラスと食料を奪い合ったり大変な苦労をした。
りょうたは、ある日にマリを助けにいくことを決意する。あやも一緒についてきた、しかし、道は土砂に埋まって全村避難せざるを得ない状態だから進めるわけもなく、途中であやが熱を出して困っているところに、二人を捜しに来たお父さんに引き止められ説得されてマリを助けにいくことを諦める。

それから数ヶ月経ったある日、一時帰宅できるようになった時にお父さんと、りょうたとあやは山古志村に帰ってマリと子犬たちを捜した、なかなか見つからなくてもう駄目かと思った時にまず子犬がそれからマリが出てきた時は感動した。

この演出がなかなかよかった。それに山古志村の風物詩である牛の角突きによる闘牛や山古志村の美しい自然など見所もたくさんあった。日本の映画でこんなに感動したのは初めてだ。

連休中に尼僧たちの智慧う映画を観た


チベット仏教
の話で、チベット仏教と言えば男性の僧のイメージが強いがその尼僧院は珍しい女性だけの僧院だった。まあ僧院長が男性の僧だから厳密には女性だけとは言えないが、とにかく女性が修行をする唯一の僧院だろう。

本殿から何から何まで全部が尼僧達の手づくりで作られている珍しい僧院だ。

もちろんほかの男性の僧のいる僧院みたいに華麗でもないが、修行のためのものだからこんなものでもいいのだろう

とにかく、どの建物も尼僧たちの共同作業によってひとつずつ石を積んで作られている。

1980年台に作られたらしいが創建者の名前は長ったらしくて難しいので覚えていない。とにかくチベット仏教で唯一の尼僧院だ。

尼僧達たちに創建者は尊敬されている。

運営費はほかの寺院からもらえるお金と尼僧達の家族からの寄付で成り立っている、そして食事は尼僧たちが交代で作っている。
自分でお金を出して食材を買うところは、男性の僧やほかの仏教の僧と大きく違っている。

ほかはみんな托鉢や喜捨だから珍しかった。

それから、みんな集まって尼僧院の全員の集会でいろいろなことを話し合って問題を解決していくのも珍しかった。しかし、似ているところもある。三年間も修行坊にひとりでこもって修行している尼僧も出てきたそういうところは高野山やその他の寺と変わらない。
家族はその修行をしている間はその尼僧に合うこともできない、厳しい修行だ。

尼僧達の尼僧になった動機もいろいろだ、家庭を捨てて来たもの家族に別れを告げて来た者などほんとにいろいろな尼僧がいる。
年も18歳から年配者までほんとにいろいろな年齢の尼僧が共同生活をしている。家で家族と暮しているよりか今のほうが幸せだと言う人や家で家族と一緒にくらしているのは無駄だと言う少女がいたりで興味深かった。

この映画を見てヒマラヤも日本の観光地と同じ悩みをもっているんだなという思いを持った。
観光客が来るのはいいのだが観光客が大量のごみを持ってきて捨てて帰るのが問題になっている。
インド人はどこにでもゴミを捨てるものだと言ってどんどんゴミを捨てていく、それでそのゴミを道から片付けて近くの峡谷にバシャッと捨ててしまうとは、困ったものだ。
それにしても、インド人はマナーが悪すぎる。ゴミを持って帰るのは当たり前のことではないだろうか?これじゃいくら観光でお金が入っても環境が悪くなったら本末転倒ではないだろうか?ゴミだらけのところに誰が来るだろうか?もっと本腰を入れて対策をたてなければならないだろう、その後にモデルケースのような活動が出てきた。ちゃんとゴミ対策をしてゴミだらけのとこには誰も来ないというモットーのもとでちゃんと管理されていて綺麗な道でしかも道路整備されていた。みんな、使用料を徴収されていてもみんな道が整備されるならと言ってだれもが納得しているようだった。
その他には、キャンプ場の例も出てきた。まず潅木を切って燃料にしないように燃料にする灯油を一定量だけ持っていくよう義務づけられている。もし違反した場合に没収される保証金を支払ってまで泊まりにくるほど素晴らしい景色があればトレッカーはやってくるいうことだろう。
最後にホームステイに力を入れている村が出てきた。自分の家のほかの部屋は汚いだろうけど客用の部屋の綺麗さには驚いてしまった。まるで、ペンションの部屋を見ているようだ!!これなら日本人でも欧米人でも外国人は満足するだろう。本当にちゃんとベッドも整えられて快適そうだ。
今までホテルがあったが外国資本だったから地元民にはほとんど利益が入ってこなかった。“われわれはこれからホームステイに力を入れていく”と言う言葉が印象的だった。
おなじ、インドのヒマラヤの各州でもいろいろと、取り組み方が違って面白かった。

ヒマラヤという観光資源があるのだから、自然と共生していければいいなと思った。
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