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2008年2月15日オープン
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前回の話に出てきた「葛飾北斎の娘の栄」

幕末の偉人の坂本龍馬さんの2番目の姉が同じ名前だ!!

 

坂本龍馬さんにはたくさんの兄弟姉妹がいる。

 

まず父親が八平と言い母親が幸と言い長男は權平と言い

坂本龍馬とは21歳も離れていて父親代わりとなって

坂本龍馬さんの世話をした。

そして長女が乙女姉さんと言い坂本龍馬さんの人格を

作り上げた人物と言えるだろう。

近くの鏡川で全く泳げない坂本龍馬さんが

泳げるように特訓したエピソードは有名だ。

坂本龍馬さんの子供の頃のあだ名が『泣き虫龍馬』だった。

維新の英雄の中で唯一、誰もがなれる英雄だ!!

 

幕末時代の女性の平均身長145cmの時代に175cmという

大柄の女性で力持ちで、米俵を3つ軽々と持ち上げる事が

出来ていたので力持ちの乙女さんと地元でも有名だったそうだ。

 

因みに当時に米俵は今でもかもしれないが一つ60キロもあった。

相当の力持ちだったらしい。ただ男性運はなかったらしい、

男勝りで薙刀・剣術・馬術-弓術・水泳に優れ。

女性らしく琴・三味線・舞踊・謡曲・経書・和歌にも優れ

文武両道の女性だった。

ただ男勝りなだけに男性である夫に剣術に勝ってしまったら、

夫の立場が無くなってしまう。

人一倍な力持ちなだけに、力でも武術でも妻に勝てないとなったら

夫はいい気持ちはしないだろう、これが夫婦仲の悪さの原因だろう。

 

今なら何の問題もないが時代は江戸時代末期の幕末時代だ!!

男は女を従え只々、女は夫に従うという時代である。

乙女姉さんは夫に殴られても一言も声を上げず、

ひたすらに耐え忍ぶという生活だったそうだ。

 夫の方も度量が小さい!!妻にあらゆる分野で負けた位で

妻に暴力を振るうなんて、なんという小人だろうか!!

こんな男は乙女姉さんには相応しくない!!

僕ならあらゆる分野で負けた位で妻に暴力的にならない。

この時代でもその位、笑って認めるはずだ。

大目に見て夫婦円満な家庭も多かったはずだ。

琴に三味線に謡曲に舞踊に謡曲に経書に和歌まで出来れば

妻として充分な素養があるじゃないか!!

僕なら、その当時の最高の素養を身に着けた女性なら喜んで妻にする。

だいぶ本題から寄り道したから本題に戻るが乙女姉さんは

坂本龍馬さんより3歳年上である。

そして2人目の姉さんがお栄姉さんだ。

坂本龍馬さんが土佐藩を脱藩する時、護身用に刀が必要になり、

刀を坂本龍馬さんに渡して自分は脱藩者を助けた

罪に問われる前に婚家を出て自害して果てた。

坂本家では山内容堂(幕末時代の土佐藩の殿さんだ。エリート主義の

塊で上士と下士(またの名を郷士とも呼ばれる。)を差別した。)に

遠慮して墓すら建てられ無かった。

お栄姉さんの墓が作られたのは戦後の昭和40年代になる。

近くの石碑には烈女お栄として功績を評価されて碑文が

長々と書かれている。

そりゃそうだろう坂本龍馬さんが脱藩して大人物になれたのは

お栄姉さんが命をかけて坂本龍馬さんに刀をあげたおかげなのだから。

何故こんな馬鹿馬鹿しい身分制度があるかと言うと、

時代は関ヶ原の戦いまで遡る。

 

 

つづく

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