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2008年2月15日オープン
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日曜日にアラビアのロレンスという映画を見た。

これは作られた映画の主人公ではなく1917年から1918年にかけてアラビアの独立のために戦った、「英雄の知恵の七柱」という書物を映画化したものである。

まず、アラビアのロレンスという人物について簡単に説明してから映画の感想を書いていこうと思う。

いつ頃に生まれたか、パンフレットには書いていないので分からないが、1918年に30歳だと考えると1930年に死んだときは42歳の働き盛りだったと思われる。

トマス・チャップマンという准男爵の愛児で本名をトマス・エドワード・ロレンスという。

だが、アラビアではロレンスのLをぬいてエル・オレンスと呼ばれていた。

1930年にオートバイの交通事故で死んだときには『ダマスカスの解放者』 『アカバの英雄』 『帝王製造機』

『無冠の帝王』。そしてベドウイン族の首長の間では 『ダイナマイトの王子』 『破壊者』 と言う名で呼ばれた。

これは、彼のハジャズ鉄道の爆破や、彼の爆発的エネルギーから付けられた名だ。

普通のベドウインや、アラビアでトルコ帝国に対して戦った第一次大戦の勇者にとっては、鉄の意志を持った指導者であり、剽悍なハェイタト族の首長 アウダ・ア・ブダイの盟友としか映っていない。

エル・オレンスと尊敬をもって呼ばれ、それが彼の慰めとなっていた。

将軍アイアン・ハミルトン卿は人間の存在の水準を高めた偉人の1人として彼の名をあげ、陸軍元帥アレンビイ卿は軍人の鑑として賞賛し、ウイストン・チャーチルは次のような最高な賛辞を送っている。

「ロレンス大佐を失ったことは、現代の最も偉大な人物を失ったことを意味する。私は彼の友人で光栄に浴した。私は彼をよく知っていた。そして、彼が再び隠遁の生活から復帰して、現在わが国を脅かしている危険に直面して、支配的役割を引き受けてもらいたいものと希望していた。彼の不慮の死はここ数年の間に英帝国の被った最大の打撃だ」と。

新聞記事では、彼はアラビアの騎士として扱われ、青年達には輝ける理想像でもあったそうだ。

初版本は私版予約本212部だけ刊行された。

しかしジョージ・バーナード・ショウはその著述に当たって彼を大いに激励し、H・G・ウエルズは偉大な人間記録だと賞賛した。

しかし、死亡までの生活は実に平凡なものだった。

平凡な人間は波乱に満ちた生活を夢みて、英雄は平凡な生活に憧れるのだろう。

かなり前置きが長くなったので、これから映画の話に移るが、まずこの映画を見終わって最初に思ったのは、モウリス・ジャールの素晴らしい音楽だった。ロマンチックな時や戦闘の時の迫力ある音楽。

このメインテーマが見終わったときに心に残った。こんなに音楽が心に残ったのはベンハー以来、久しく見たことはない。

この映画のプロヂューサーのサム・スピーゲルと監督のデビィッド・リーンの二人を抜きにしてしては語ることは出来ないだろう。

あの不朽の名作と言ってもいい明日に架ける橋を作った名コンビだ。

そして、見事な脚本を書いたロバート・ボルトも挙げなければならないだろう。

この脚本があればこそ、この作品が生み出されと言っても過言ではない。

ほかの配役を書いていけばきりがないので省くが、ピーター・オトールのことだけは触れておかなければならない

だろう。

主役である彼の演じるアラビアのロレンスは本当に熱演だった。

この映画の前には、彼は映画の前にラクダに乗る練習をしたそうだ。

そしてこの映画で一躍有名な俳優になった。なんといってもアカデミー賞を7部門も独占したのは凄い。

映画の主な部分はヨルダンで撮影された。

ヨルダンの若いフセイン国王はロレンスの率いた反乱軍の創始者ファイサル王子の父、メッカのフセインの孫だが、非常に興味を持って、そして王の命令で撮影隊は、砂漠巡邏隊の精鋭から専門的な援助を受け、またその好意というよりも保護のもとに撮影隊は数百名のベドウィン達の参加協力を得ることに成功した。

この協力がなければこんな迫力ある、映像を撮ることはできなかったろう。

最初の撮影地はアカバから東に250哩のジュベル・トゥベイクで行われた。

水は150哩も離れた所にしかない。アカバまでの移動に300哩に及んだのだ。しかもその距離の間に俳優やベドウィン族や動物に食料と水を供給しなければならない!!

カイロ、ダマスカス、エルサレムは近代化されて撮影には使えない。

このために撮影はスペインで行われた。このような努力のもとにこの映画は作られた。

だいぶ前置きが長くなったから映画の内容に入っていこうとおもう。まずカイロの地図係をしていたロレンスにアラブ局から呼び出しが掛かった。

アラビアに行ってみないかということだった。この瞬間にアラビアの英雄が生まれることになったのである。

時は1914年アラビアはドイツ帝国と同盟関係にあったトルコの支配による圧制に苦しんでいた。

このアラビアの解放のために戦うことになるのがこのロレンスだった。

最初はフェイサル王子に会見してハウェイタト族の協力を得ることにした。

ハウェイタト族の首長のアウダ・アブ・タイルこそ、ロレンスの盟友になる人物である。

まず、最初の冒険は酷熱のネフド砂漠越えである。

このネフド砂漠があるからアカバの港は海だけに注意を向けていたから敵も内陸はまったくのノーマークである。ここからアカバ港を攻めようというのだ、フェイサル王子からたった50人のラクダ隊を借りて酷熱のネフド砂漠を1人も失わずに無事に酷熱のネフド砂漠を越えてしまった。これだけでも十分快挙といえるだろう。

まず近隣の首長を説得して、アカバ港を攻めることに同意を取りつけることにした。結果、かなりの数の戦力を集めることに成功した。

この軍勢でアカバ港を簡単に陥落させることに成功したのだ。

その報告をロレンスはシナイ半島を越えてカイロにあるイギリス陸軍の指令本部まで報告に行った。

指令本部では大騒ぎになった。イギリスがどんなに攻めても取れなかったアカバ港をロレンスが攻略するのに成功したという情報なのだから。

この功績によってロレンスは中尉から少佐に昇進し、これからも作戦を進めるように司令官自らの歓待を受けた。そして、直接これからの戦略を確認して作戦の白紙委任をうけたのだ。

次はトルコのハジャズ鉄道の爆破にとりかかった。

列車がくるのを待ち受けて線路を爆破して汽車をとめるのだ。

そして、列車の積荷は全部ロレンスの部下達が略奪するのだ。

これは、イスラム法で認められた当然の権利だ!!

オスマン・トルコがコンスタンチノープルを陥落させた時もイスラム法に則って、3日間の略奪がアフメット2世によって認められた。

そういうことをイギリスの将校はまったく理解していない。イギリス人だってヘンリー・モーガンに率いられた、海賊によってパナマやそのほかの都市を略奪しているくせに、ロレンスの部下を批判する権利はない!!

この活躍によってトルコ政府はロレンスは2万ギニーの懸賞金をかけた。

懸賞首になったり、列車を襲ったりまるで西部劇に出てくるお尋ねもののようだが、これは空想の物語ではなく実在の人物の話である。デラアではサディストの軍司令官の配下の部下に捕らえられて拷問を受けて死んだものだと思って捨てられて命拾いをした。

そして、エルサレムでアレンビー将軍に配置換えを願い出たのだが、受け入れられず、再びベドゥインのもとに戻っていった。

それから、こういうこともあった。

ある村の住民が虐殺されていたことがあった。

その時にロレンスが村を襲ったトルコ軍を見て「捕虜は皆殺しだ」と言って村を襲ったトルコ軍を全滅させたときに、ロレンスに従軍記者としてともに行動していたアメリカ人記者のベントレィが「汚れた英雄だ」とつぶやいた。

だが、アメリカ人にそんなことを言う権利はない!!自分の国でカスターは何千人のアメリカ・インディアンを殺したのか。

しかも半分以上は非戦闘員の女性や子供だろうにカスターは汚れた英雄じゃないのか!!アメリカ人にロレンスを批判する権利などどこにもない!!とロレンスは批判した。

さて、いよいよクライマックスのダマスカス入城だ。

アラブ(これも日本人が勝手に付けた名前で実情はアラブ人などは存在しない。ベドウィンも都市に住むもの、砂漠に住むもの、アウダ族や何々族で反目しあっている。)とにかく、このまとめにくいベドウィンをまとめ挙げていったのがロレンスだった。

金で集めた軍勢を加えて大群を率い、イギリス軍よりも1日先にダマスカスを占領してアラブ国民会議を樹立したが、共通の敵を失った部下たちはそれぞれの故郷に帰ってしまい、ロレンスもアラビアの独立を諦めてイギリスに帰っていくのだった。

見た後の感想は「素晴らしい」の一語に尽きる。

まず、モウリス・ジャールの音楽が素晴らしい!!ロレンスを演じたピーター・オトゥールの熱演も素晴らしかった。本当にアラビアのロレンスを演じきっていた。この映画でピーター・オトゥールは一躍有名になった。なんといってもアカデミー賞7部門を独占した大作に主演したのだから。

名優たちが脇役としてしっかり脇をしっかり固めて素晴らしい映画になった。

これぞ名作と言える映画だった。


 

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