『天空を駆けるを見て』29日に天空を駆けると言うインド人のアシスタントディレクターの撮った映画を見た。実に感動したムンバイという大都市からチャンタン高原を周ってムンバイにかえってくるという映画だった。しかもバイク一台だけの旅というのだからおどろきだ!!
まず、ムンバイから目的地のチャンタン高原まで小さい道を延々と上っていくのが大変だ、1人だけだからカメラを三脚に固定して自分が走るところを撮ってから、またカメラを回収しに行かなければならないかなければならない、しかもテントから機材から寝袋にバッテリーから燃料までバイク一台に積まなければならない!!途中の村で積載量を増やせるようにバイクに枠を付けて改造したりしてひたすらチャンタン高原をめざしてひた走る。まず、ラダックの首都のレーに着いてそこでしばしの休息をとったり食料と燃料を補給したりして、いよいよチャンタン高原にむけて進むのだが、それがまた大変だ、平均高度4500メートルの道路を行くのだから途中で酸素不足でエンジンがかからず手で押したり、道に水が流れて川のような状態のところを走ったりで大変な苦労をしてやっとチャンタン高原にたどりついたのだが、そこでいろいろな光景を見ていく。たとえばチベット仏教の僧が仮面をつけて踊る舞踏とか遊牧民の音楽とか遊牧民の生活とかいろいろなものを見物していく特に遊牧民との交流がほほえましい、昼食に招待されて遊牧民と一緒に食事をしたり自分のテントを遊牧民に見せたりほんとに仲良くしていた。まあ、その場面を撮るのにいちいち近くの国境警備隊の基地まで何百メートルも往復してバッテリーを充電しにいかなければならないのが大変だが。そして遊牧民のすみやかなボル(遊牧民のテントの名前)の撤収のときの驚き!!五個のボルが2時間もかからずヤクに積み込まれて、あっというまに今まであった小さな集落がなくなってしまうのに驚いていた。
それから、チャンタン高原の南端までの旅も凄かったこれから本当の厳しい旅が始まるというコメントの後に本当に厳しい旅が始まった人家もないところをひた走る。チャンタン高原の南端に着いて公衆民宿に泊まってベッドに寝れる時の喜びなどもよかった。
なかには高度5600メートルの世界最高の自動車道路を超えたりまさに冒険者だ!!
それから、昼食に招待してくれた遊牧民と再会して友情を確かめたり、最後に出てきたのは遊牧をやめてしまった、遊牧民の親子が出てきた父親は遊牧を続けているのだが息子の方は遊牧をやめてしまい、親子の間には溝が出来てしまい修複できなくなってしまった。父親は町では暮していけないのだろう、「人は私のことを遊牧民という、しかし私は都会に生きていける。」ここからはレストランもホテルもある。文明世界に帰っていくというところで映画は終わっていた。冒険だけじゃなく文明についても考えさせられた映画だった。
まず、ムンバイから目的地のチャンタン高原まで小さい道を延々と上っていくのが大変だ、1人だけだからカメラを三脚に固定して自分が走るところを撮ってから、またカメラを回収しに行かなければならないかなければならない、しかもテントから機材から寝袋にバッテリーから燃料までバイク一台に積まなければならない!!途中の村で積載量を増やせるようにバイクに枠を付けて改造したりしてひたすらチャンタン高原をめざしてひた走る。まず、ラダックの首都のレーに着いてそこでしばしの休息をとったり食料と燃料を補給したりして、いよいよチャンタン高原にむけて進むのだが、それがまた大変だ、平均高度4500メートルの道路を行くのだから途中で酸素不足でエンジンがかからず手で押したり、道に水が流れて川のような状態のところを走ったりで大変な苦労をしてやっとチャンタン高原にたどりついたのだが、そこでいろいろな光景を見ていく。たとえばチベット仏教の僧が仮面をつけて踊る舞踏とか遊牧民の音楽とか遊牧民の生活とかいろいろなものを見物していく特に遊牧民との交流がほほえましい、昼食に招待されて遊牧民と一緒に食事をしたり自分のテントを遊牧民に見せたりほんとに仲良くしていた。まあ、その場面を撮るのにいちいち近くの国境警備隊の基地まで何百メートルも往復してバッテリーを充電しにいかなければならないのが大変だが。そして遊牧民のすみやかなボル(遊牧民のテントの名前)の撤収のときの驚き!!五個のボルが2時間もかからずヤクに積み込まれて、あっというまに今まであった小さな集落がなくなってしまうのに驚いていた。
それから、チャンタン高原の南端までの旅も凄かったこれから本当の厳しい旅が始まるというコメントの後に本当に厳しい旅が始まった人家もないところをひた走る。チャンタン高原の南端に着いて公衆民宿に泊まってベッドに寝れる時の喜びなどもよかった。
なかには高度5600メートルの世界最高の自動車道路を超えたりまさに冒険者だ!!
それから、昼食に招待してくれた遊牧民と再会して友情を確かめたり、最後に出てきたのは遊牧をやめてしまった、遊牧民の親子が出てきた父親は遊牧を続けているのだが息子の方は遊牧をやめてしまい、親子の間には溝が出来てしまい修複できなくなってしまった。父親は町では暮していけないのだろう、「人は私のことを遊牧民という、しかし私は都会に生きていける。」ここからはレストランもホテルもある。文明世界に帰っていくというところで映画は終わっていた。冒険だけじゃなく文明についても考えさせられた映画だった。
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