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2008年2月15日オープン
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今回のオリンピックアジア予選全体について書いていきたいと思う。今回は本当に厳しかった。楽な試合なんて、ほとんどなかった。日本代表は2次予選からの登場だった。もう2次予選のことはネットで調べられないから、もう思い出せないが、決して楽な試合ではなかったと思うが。
最終予選は本当に厳しい試合ばかりだった。最終予選の初戦の相手はマレーシア代表との試合で前半10分東慶悟のゴールでリードしてそのまま前半を折り返して後半も攻め続けたが、なかなかゴールを決めることができず、やっと後半32分に山崎亮平のゴールで勝利を確実にきめた。1点差のまま前半から後半まで試合が経過している間は気をもんではらはらした。1点を取られるとすぐ同点になるんだから、心も落ち着かない後半32分に点が入ってやっと気持ちも落ち着けた。
次の相手は中東のバーレーンが相手だ、前半44分に大津祐樹のゴールで1点をもぎ取り後半23分東慶悟のゴールでこの試合の勝利を引き寄せた。この試合は放送開始時間があまりにもおそかったので見ていない。
次の相手はシリアだ、日本代表が前半45分に濱田水輝のゴールで先制したがシリアのオマル・アルムスに後半35分に同点にされた。日本代表が1点取ってから相手のシリア代表の攻撃が厳しくなり、危ないシーンが何度もあった中での同点ゴールだった。ついに同点においつかれたかと、いう気持ちだった、どちらが勝つかわからない状況に追い込まれてどうなるかと、ひやひやだった、そのあとは一進一退の厳しい戦いになってしまった。この苦しい状況の中で大津祐樹が後半41分にシリアを突き放す値千金のゴールでやっとシリアに勝つことができた、本当に苦しい試合だった。大津祐樹は凄い、あの苦しい時間帯によくゴールを決めてくれた日本代表を救ってくれたゴールだった。
国立競技場ではなんとか勝てたが、次にアウェーで戦った時にはどんでもない試合になってしまった。ホームでのシリアは強かった。まず日本代表が前半18分にオウンゴールでシリアに先制を許してから、この試合は厳しくなってしまった。
同点に追いつかなければならないし、前がかりに行きすぎての失点も怖いし、とは言っても点を取らなければならないし、シリアは先制点を取ってがんがん攻めてくるし本当に難しい試合になってしまった。前半ロスタイムに永井謙裕が同点ゴールを挙げてこれで悪くても引き分け、うまくいけば逆転かと思ったが、なかなか、ゴールを決められない間に後半終わり際90分に、アルマド・アルサリクに試合を決めるゴールを決められて日本代表はシリアに負けてC組2位に転落してオリンピックへの道は閉ざされたかと思った。
日本代表は次のマレーシア戦に勝つだけでは駄目で、大量得点を取って勝たなければならないという、重い試合になってしまったが、日本代表はマレーシアの高温多湿の厳しいコンディションで解説者は大量得点は無理だと言われた。この試合でFW大津祐樹が所属のボルジアMGで、けが人が出た関係でクラブが大津祐樹をマレーシア戦に参加させるのを断ってきて、国内組だけで試合に臨まなければならなくなった。
この厳しい試合で日本オリンピック代表はまず前半35分に酒井がゴールを決めて、そして
前半44分に大迫がゴールを決めて、追加点を挙げた。
そして後半10分に原口がゴールを決めて、後半15分に斉藤がゴールを決めて、見事に4-0の大量得点で勝利した。国内組だけで勝利した貴重な一勝だった。これで条件はクリアーして、その上にシリアがバーレーンに負けたことにより再びグループC組の首位に返り咲いた。
最後は3月14日のバーレーン戦だ、この時点で日本、シリア、バーレーンが勝ち点差でどの国にも首位に立てる可能性がある、混戦の最終予選の最終戦になった。
勝つか引き分けではロンドンオリンピックに行けるが、負ければプレーオフになって各組の2位の中で1位になって、その上にアフリカの1位と戦って勝たなければオリンピックに行けないという、とんでもない茨の道を歩まなければならないという、プレッシャーがかかる試合となった。
前半は0-0と重苦しい試合となった、やはり先に先取点を相手にやってはならないということで、思いきって前に出て行けなかったのだろう。
しかし、後半10分に扇原がゴールを決めて、後半14分に清武がゴールを決めて試合を決めた。みんなで取った2点だった、前線でなんども大津がつぶれ役になって、相手DFをひきつけて、その間に原口が頑張って扇原が決めた1点目だった。その後も大津が相手DFを惹きつけての斉藤の2点めだった。
振り返ってみれば実に厳しいオリンピックアジア地区最終予選だった。楽な試合はマレーシア戦くらいなものだろう、シリアにはホームでは勝ったがアウェーではシリアに負けてしまうし、バーレーンとの最終戦でも前半はなんどもバーレーンにゴール前まで攻め込まれて苦しい時間帯があったし、後半10分の扇原のゴールの後に日本代表が攻め込む場面が増えて後半14分の清武のゴールの後にやっと楽に試合をすることができるようになった。
シリアに負けて一敗地にまみれて、C組の2位に転落したときは、もうオリンピックもう駄目だと思った。2位に転落すれば厳しいプレーオフに勝ってなおかつ、アフリカ地区のチームに勝たなければオリンピックに出れなくなってしまう。まさに、オリンピック出場に赤信号ついてしまった、この状況の中でも選手は落ち着いていた。シリアに負けたことによりオリンピックへの出場条件が厳しくなり、マレーシア戦で勝つだけなく大量点で勝たなければならない、このプレシャーのかかる試合で今まで2点しか得点をあげたことのないオリンピック日本代表では大量点は無理だと解説者には言われていたが。その言葉を吹き飛ばすかのように4-0の大量得点を取って予想を超える働きをした。
そして、シリアがバーレーンに負けて再びC組の首位に返り咲いた。
、もしかしたらマレーシア戦に勝つだけでもC組の首位に返り咲けたのかもしれないが 
あの、マレーシア戦に大量得点を気迫で取ったことによりチームの結束が強くなったのは間違いないところだろう。
それにしても苦しい予選だった、大津は招集されたが初戦以外は所属チームで怪我人が出たりで、最終戦まで来れなかったし、清武は怪我で最終戦まで出れなくて苦しいチーム状況で、よくオリンピック出場を勝ち取ってくれた。さあ今度はオリンピックだ、また今度も、絶対に負けられない戦いが続くのだろうが、頑張ってメダルに挑戦して欲しいと思う。





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