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2008年2月15日オープン
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つづいて第5次川中島の戦いに移る。

戦いの最終戦である第5次川中島の合戦は1564年に始まった。

別名塩崎の対陣ともいう。

 

上杉輝虎(上杉政虎さんが1581年末に将軍義輝の

1字をもらい輝虎と改名した)上杉様虎さんは川中島に出陣したが

信玄は戦いを避け、塩田城に布陣してにらみ合いで終わった。

 

飛騨の国の国人衆同士の戦いが起こった。

上杉・武田氏の戦いに相関し、飛騨国人衆の三木良頼・

三木白綱親子と江間輝盛は江間時盛と対立していた。

1564年に信玄は江間時盛を支援し、上杉輝虎さんは、

三木氏と江間輝盛を支援して介入した。

 

1564年の6月に、信玄は家臣の山県昌景・甘利昌忠の家臣を

飛騨の国に派遣して、これより三木氏と江間輝盛は劣勢になる。

 

1564年の8月に上杉輝虎さんは武田軍の飛騨の国への

侵入を防ぐために川中島に出陣した。

信玄は長野盆地の南橋の塩田城にまで進出したが、決戦を避けた。

2ヶ月に渡って対峙する事になった。

10月に両軍撤退して戦いは終わった。

以後、上杉輝虎さんは関東出兵に力を注ぎ、信玄は東海道と

上野に勢力を拡大していった。

 

これが1534年から1564年に渡って、

中断期間を挟みながら30年の間に戦われた信濃の国を

巡っての戦いの全貌である。

上杉景虎さんは信濃の国を守るために、介入し晴信は

信濃の国を侵略するために介入した。実に長い戦いであった。

 

これで上杉謙信が凄い武将であったことは

納得してもらえたと思う。

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