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2008年2月15日オープン
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6月4日に無事ワールドカップの本戦に出場が決まったが、この日の試合も含めて長く厳しかった、ワールドカップアジア予選の試合を振り返ってみたいと思う。

アジア予選で日本代表の初戦の試合は去年の2012年の63日の7時半のオマーン戦がアジア予選の3次予選の初戦でアジア予選の最初の試合でもある。(なぜ3次予選が最初の試合かと思う人も多いだろうが、詳しくは分からないが日本代表や韓国代表みたいにワールドカップに出場しているチームは、1次予選や2次予選は免除されているのだろう。)

しかし、見方によっては初戦がいきなり3次予選というのも、ある意味コンヂィションを整えるのも難しいだろう。日本代表は初戦だがオマーン代表にすれば何試合も戦っているのでコンヂィションはばっちりなのだから、まあ一次予選や2次予選を戦わなくてもいいから、疲れはないわけだからその分だけ有利なのは確かだが。

とにかく日本代表はこの初戦は、ホームだから日本国中の応援を受けて前半11分に本田のゴールで、後半は前田と岡崎のゴールで快勝した。でも試合の最初の方は苦しい場面もあった、でも勝てて本当によかった。

第2戦は6月8日にヨルダンを相手に戦った、この試合もホームでの試合だったから選手も心強かったのだろう6-0と快勝した。まず前半に前田が1ゴール本田が2ゴールを決めて香川が1ゴール決めて後半も本田がPKを決めてこの試合は本田が3ゴールも決めてハットトリックになった。まだ日本代表の攻撃は終わらない栗原のゴールで見事に勝った。

次の試合は6月12日でこの試合は引き分けとなった。この試合はアウェーで戦った。(ホームとアウェーの意味が分からない人もいないと思うが。このブログを見て初めてサッカーのこと知った人のことを考えて、一応だが軽く解説するがホームとは自分の国で試合をすることで、アウェーとは相手国で試合をすることである。当然のことながらホームでは自国民の大応援が期待できるから勇気を得れるが、アウェーでは相手国の国民が相手国のチームを応援することになるから非常に試合をやり難くなることになる。だからワールドカップ予選では不公平がないようにホームアンドアウェーで戦うことになっている。)

だいぶ話が逸れてしまったから6月12日の試合に戻すが、栗原が先制ゴールを挙げたが、オーストラリアのウイルクシャーにPKを決められてドロー(英語の分からない人のために日本語に訳すと引き分けのことである。以降そういうものだと理解して貰いたい。これ以降はこれで理解してもらったものとしてもう、日本語ではなくカタカナで表記していく。)

まあPKをきめられたんじゃ、まあしょうがないとも言えるがペナルチィエリア(サッカーが始めての人が読むかもしれないから念のため書いて置くがゴールキーパーが手を使えるエリアである。)での反則は本戦では避けたいものである。


念のため図で示した。この後ろの長方形がゴールでこの青色のがキーパーが手を使えるエリアである。またキーパーはこのエリア内しかキーパーは手を使えないこのエリアの外に出たら足でボールを処理しなければならない。また、この青色の外のエリアも含めてペナルティーエリアと呼ばれる。全てを含めてペナルティーエリアである。

この中で反則をすると、ハンド(わかりやすくいえば頭や足や体でボールを触れてもかまわないが手や腕でボールを処理することは反則になる。)それに、もちろん手などで頭や体を押したり、倒したりするのも反則だ。それともうひとつ、ボールを足で取りに行くのは構わないが故意に足で相手の足を引っ掛けて倒すのも反則で、いずれもPKが与えられる。

PKとはペナルティーキックのことである。もちろんPK合戦の時は相手に反則があったのではなく決勝トーナメントで決着をつけるために行われる。

このPKが与えられるとゴールに近い所から、キーパーと1対1でシュートするのだが、この距離なら簡単に決められるだろうと思われるが、これがなかなか難しいボールを蹴る選手も決めなければならないという、プレッシャーがかかるしなかなか決められないことが多い。

まさに、入れごろ外しごろの所にボールを置くところがサッカーを面白くしているのだと僕は思う。だから試合が面白くなる、もしこの位置にボールを置かなければ色々なドラマ生まれなかっただろう。

次の試合は911日のイラク戦だ。前半の前田のゴールで1-0としてこれが決勝点となってこの試合は勝利した。この一戦は日本のサッカーを育ててくれた、ジーコ氏がイラクの監督として日本代表と戦う因縁の試合となった。

ジーコ氏は昔は日本代表の監督をしていたことがあった。日本代表の選手の多くがジーコ監督のもとで戦ったこともあったから、お互いやりにくかったことだろう。

次の試合は1114日のオマーンとの試合だ。前半に清武がゴールしたが、後半にオマーンのマハイジリに追いつかれて、また今度は岡崎がゴールを決めて突き放し試合をを決めた。

次の試合は326日のヨルダン戦だ、まず前半にヨルダンのバニアテヤに先制ゴールを決められて日本も香川が後半に同点ゴールを決めたがハイルが逆転ゴールを決められて負けてしまった。この試合は余りにも深夜だったから見れなかった。朝方人間の僕にはしんどすぎる。この結果を聞いた時に本当に最終予選で最初にスタートダッシュで勝ち点をたくさん上げていて本当によかったと思った本当にアウェーでは何が起こるか分からない。

そして、先週の64日のオーストラリア戦だ。試合の最初から日本が-オーストラリアの、サイドで攻撃をして何度もシュートを打ってゴールの枠をとらえたシュートもあったがオーストラリアのゴールキーパーのシュウォーターに止められてしまった。中には体勢を崩されて、片手一本で止められたこともあった。

攻め続けても点が取れないと何が起こるか分からないのがサッカーだ、後半の終わり際にオーに、ボールを蹴られて解説者によるとシュートではなくゴール前へのパスだったらしいが、どちらにしてもそのボールがゴールキーパーの川島の上を越えてゴールに吸い込まれてゴールを決められてしまった。

今までの日本代表なら焦って攻撃を仕掛けるだけで、ただ時間だけが過ぎていくだけだったが、今の日本代表は大勢の日本選手がヨーロッパで日々ひたすらヨーロッパでレギュラーの座を獲得するために厳しい環境に身を置いて熾烈なレギュラー争いをしているのからなのか、精神力が半端ではない。

すぐに本田と香川を中心にして激しく攻め、ハンドによるPKを獲得して本田が自らボールをセットして見事にPKを決めて同点にしてドローに持ち込んだ。本当に試合終了前の際どい時間帯での見事な同点シュートだった。

そして、611日のワールドカップアジア最終予選の最後の試合のイラク代表との一戦である。イラク代表は、ジーコ監督が最終予選敗退寸前まで追い込まれた責任を取らされて

クビになってポポビッチ監督に代わっていた。(大勢の人はジーコ監督のジーコいう名前は本名だと思っているが全然違う。前にナントカかんとかコインブラでその後もおびただしい量の名前が続く。ラテン系の人々に特有の長ったらしい名前をジーコ氏は持っている。これでは生活上に不便をきたし、それで愛称をジーコと呼ばれるようになった。

例えば、学校で授業をする時にあの長ったらしい本名を先生がいちいち呼ばなければならないとしたら、とんでもないことになるのは分かるだろう先生が当てたり、注意するのにもあの長ったらしい本名を言わなければならない、授業が大混乱してしまうのがわかるだろう、しかも、長ったらしい本名を持った生徒がほかにもいたら、大混乱に拍車がかかるだろう。こういう事情でラテン系の人々は愛称が付けられて人が結構多い。)

イギリスとスペイン(まあ慣用句に合わせて、こう言う風に書いて置くが、僕の今までブログを読んでくれた人はイスパニアだというのが本当の国名だというのがわかるだろう。)とがトラファルガー沖で艦隊決戦をした時にもイギリス艦隊の艦名が短いのに対してスペイン艦隊の1隻はながったらしい名前を付けていた。ラテン系の人々は長い名前をつけてしまうものだろう。

だいぶ試合から離れて、余談が長くなったから試合の振り返りに戻るがイラク戦は、もうイラクはこの試合に負けたら、その時点で最終予選敗退が決まる試合だからイラクはどんどん前に攻めてくる、難しい試合になった。

日本代表も結構シュートをするが、どうしてもゴールネットを揺らすことが出来ない、少しピンチとチャンスが続く試合になった。チャンスは日本代表のほうが若干多かったかっが、シュートがゴールに結びつかなかったのがもったいなかった。

しかし、後半の終わり際の時間帯に、岡崎から遠藤そして再び岡崎に遠藤から素晴らしいパスが送られて見事に岡崎がスライディングシュートで1点を取り決勝点を挙げて見事に勝利した。

もうちょっと早い時間帯にゴールを決めてくれたら、もう少し楽に見れたのだが。まあこれから一年もあるから、もう少しシュートの方は確実に決められるように、練習して欲しい。

それにしてもワールドカップアジア予選は楽な試合は少なかった。3次予選も、北朝鮮戦はアウェーで、アウェーとは英語で敵地の意味だが、文字道理の敵地だ。

北朝鮮だけでなく朝鮮半島全体の人々に日本は、朝鮮半島の人々が望んでいないのに、李氏朝鮮王国を滅ぼして勝手に日韓併合をして、無理矢理に日本語教育をして、日本語読みを押し付けて朝鮮半島の人々の伝統的な発音を、禁じたり植民地経営をして収奪をした過去がある。

北朝鮮の生みの親、金日成は対日ゲリラの指導者だった。韓国とは一応、損害賠償が不十分でも済んで友好関係をもっているが、それでもやはり、わだかまりがある。まして、北朝鮮は日本と国交がないんだから、こんな国では反日教育をうけている。

こんな国で3次予選をやったせいだろうか日本は完全敵地の雰囲気に飲まれて負けてしまった。しかも次の試合ではただ勝つだけじゃなく、大量得点を取らなければ、3次予選敗退の危機になってしまった。

それまで2点以上取っていないのに、大丈夫かと思ったがマレーシア相手に6点も取って快勝した。日本代表の選手に危機感があったのだろう。いくら相手のマレーシアが、かなり格下とはいえ、あの蒸し暑いマレーシアの気候で6点取るにはかなり体力を消耗しただろう、気候はいつもホームのチームの味方だから。

とにかく、ワールドカップに来年に出れることは技場で頑張って欲しいものだと思う、まず初戦のブラジル戦でどこまで出来るか楽しみ決まっていることだし、

まずコンフェデレーションカップで来年のブラジルワールドカップで開催される競技場で頑張って欲しいものだと思う、まず初戦のブラジル戦でどこまで出来るか楽しみだ。








 

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