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2008年2月15日オープン
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準々決勝、に引き続いて、いよいよ決勝について振り返ることにしたいと思う。この試合は大阪桐蔭の4番小池選手のツーランホームランで1回裏に大阪桐蔭が先取点を取って試合が始まった。大阪桐蔭が先取点を取ったことである。いつも相手チームに先取点を取られて苦しい立ち上がりになったがこの試合は先取点をとって楽に試合進めるられるかと思ったが
さすがに光星学院の強力打線もそう簡単には終わらなかった、3回表に北條選手のタイムリー2塁打と武田選手のタイムリーヒットですかさず同点に追いついた。しかし3回裏に5番安井のタイムリースリーベースヒットで1点をまず取って、その後に今大会に打てなくて苦しんでいた白水選手がライト前にタイムリーヒットを打ってその後に犠牲フライで3点取って引き離したが、5回表に北條選手がタイムリーツーベースで1点返すがここまでが光星の限界だった、7回裏に犠牲フライで1点、8回裏にも犠牲フライで1点と加点されて結局7-3で大阪桐蔭が勝ったが、それほどの力の差はなかった、6回以降は田村、北條との3,4番を藤浪投手が見事に抑えたのが大きかった。この二人はそれぞれ5本ずつのヒットを打っているし、決して光星学院が藤浪投手を打ち込めなかったわけではない、12本もヒットを打っているのだから決して討ち負けたわけではない、藤浪投手を中心とする大阪桐蔭の守備が再三のピンチを切り抜けたからだ、光星学院の残塁11という数字にもこのことが表れている。ファインプレーもあったし、光星学院になかなか得点を許さなかった。
光星学院の守備も素晴らしかったが少し、ピンチにエラーが出てしまったのが痛かった、3塁にランナーを進められて外野まで打球を持って行かれて犠牲フライで3点も取られてしまったがよく守った。決勝までは打ち勝った試合も多かったし、特に愛工大名電の濱田投手を打ち込んだし、藤浪投手からも12安打も打ったし決勝では決して打ち負けたわけではない、チャンスにあと1本が出ないところが痛かったまあそれだけ大阪桐蔭のディフェンスが良かったというところだけだろう。光星学院は夏に向けてもう少し守備を鍛えなおしてもらいたいところだ、夏にはもっと強くなった光星学院を見せて欲しいところだ、大阪桐蔭は春のことは忘れて夏も勝って欲しいところだ。






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4月3日の火曜日にピースを一日休んで甲子園に試合を見に行ってきた。3試合とも応援しているチームが勝った最高な一日だった。
まず第1試合は、関東一高と別府青山との組み合わせだった。別府青山の投手に関東一高はたったの2安打に抑えられていたが3回裏に磯部、岸の連続内野安打と犠打で1死2,3塁として秋山選手の犠牲フライで1点を取って、中村投手がこの1点を守りきって勝つという僅差で勝つという試合だった。別府青山にもチャンスがあったし、見ていてひやひやものだった。ことしの関東一高は強打のチームというよりか守り勝つ野球をするようだ。
第2試合は浦和学院と三重との組み合わせだったこの試合も浦和学院が2安打に抑えられたが8回に山根選手が2点タイムリーヒットを打って、なんとか勝てたという苦しい試合だった、この試合も三重高校にもチャンスがある厳しい試合だった。
第3試合は大阪桐蔭と九州学院との組み合わせだった。この試合は序盤は九州学院に2点取られて苦しい前半だったが、6回表に笠松選手がスリーランホームランを打って逆転し7回表に藤浪投手がソロホームランで加点して、九州学院を引き離したが7回裏に1点を九州学院が取って4-3と1点差に詰め寄られたが9回表に藤浪投手がショートの頭上を越えるタイムリーヒットを打って、なんとか勝てた厳しい試合だった。
この日に甲子園に行って初めて大阪桐蔭の応援団の応援を見たが、独特の応援があることを初めて知った。
‘‘さあいきましょう、、‘‘この回いっきに、、‘‘試合を決めろ、、という応援のメッセージはいつ頃から行っているのかわからない、甲子園に初めて来た時からやっているのか、それとも最近やりはじめたのか分からないが、そういえば大阪桐蔭の試合を外野でみたのは始めてだ、どちらにしてもこんな応援ができるのは大阪桐蔭だけだろうと思う。
弱い高校にこんなことを言われたってとても1イニングで、試合を決めきれるものじゃないだろう、それどころかプレッシャーになるのが落ちだろう。
大阪桐蔭の打力があってこその応援だろう、大阪桐蔭なら1イニングで十分決められる打力を持っていると、思う。
とにかく、この日は応援していた高校が全て勝つという、最高な1日だった。こんな日はめったにあるものじゃない。
まあ、関東一高も浦和学院も大阪桐蔭も実力校だから勝って当たり前と言えばそうなんだが関東一高はともかく浦和学院は今まで打線が空回りして10年以上も初戦負けして、本当に久しぶりの初戦突破だったし、大阪桐蔭も5季連続も甲子園から遠ざかっていたし、特に去年の夏は惜しいところで負けてしまっていたし、まあ大阪桐蔭の場合は甲子園に出てくれば初戦負けなんてことはないんだが。
 
4月1日は最高な一日になった、嫌いな高校が次から次へと負けていったからだ。まず第1試合は光星学院VS愛工大名電高校の試合だ。1回裏に田村選手がツーアウトランナーなしから3番田村選手がツーベースで2塁に出て4番北條選手がレフト前にタイムリーヒットでまず先取点を取った、4回に追いつかれ6回に愛工大名電に逆転されたが7回裏にランナーを2塁において城間投手のライト前タイムリーで同点に追いつき、どちらが勝つか分からない厳しい試合展開の中で8回ランナーをふたり置き5番大杉選手がなんとセンターの上を越えた大きい打球でランナーをホームに帰すだけではなく自分までホームに帰ってくるという、見事なランニングホームランだった。
もちろん、愛工大名電のセンターがなんとかこの打球を取ろうとダイビングキャッチに行って打球を取れる野手がいなくなったこともあるが、センターのいちばん深い所に打球が転がっていったのもあるが、よくランニングホームランにしたものだ、足が早いだけでなく
勇気もあるのだろうか、それとも3塁コーチャーの判断がよかったのか、どちらにしてもナイスプレーだ!!これで試合を決めたのだから、それにしても3番田村、4番北條は、今大会は当たっている、1番、2番がアウトになってもツーアウトからでもこの2人で点を取
れるというのはチームにとって心強いかぎりだ。まだ上も狙えるだろう。
第2試合は関東一高と横浜高校の関東対決だ、4回表に関東一高の秋山選手のツーランホームランでリードを奪ったが5回7回と横浜に加点されて同点に追いつかれたが9回にランナー2人をおいて伊藤選手のタイムリー3塁打で突き放して勝ったという試合になった
これで、嫌いな高校が全部消えてくれた。横浜はずっと前から嫌いなチームだし、愛工大名電もどうしても好きにはなれない、これで健大高崎以外はどこが勝っても問題がない、健大高崎の積極的な走塁は高校生らしくて、面白いとはおもうのだが、やはり、あの校歌があまり好きでないから嫌いとは、言えないがあまり勝って欲しくはないというのが本当の気持ちだ。









土曜日に宋家の三姉妹と言う映画を見た。
皆さんは宋家の三姉妹という人達を知っているだろうか?
おそらく、ほとんどの人達は知らないだろう。僕も全く知らなかった。
中国の共産党の革命の陰に隠れてしまったが、中国では有名な姉妹だ。
長女は孔子の76世代目の子孫だというが、ほんとかどうか分からない。
この女性に関しては特筆、言うことはない。
孔という大金持ちに嫁いだのと、抗日戦争の間だけ活躍したくらいだろうか。
次に次女だが、この人は特別に取り上げる価値のある女性だ!!
辛亥革命を成功させた、あの孫文と結婚して波乱の生涯を生きた女性で、常に祖国のことを憂い心配して生きた女性で毛沢東よりも尊敬する中国人だ。
そしてなんと、国民党軍と中国共産党の内戦の後に中華人民政府の副首席になり、晩年は中国共産党政府の名誉主席になった女傑でもある。
三女はあの蒋介石の妻になった女性だ。
世界では一人は富を愛し一人は権力を愛し一人は祖国を愛したといわれた。中国では有名な三姉妹だ、その宋家の三姉妹を主人公にしたのがこの映画だ。
メイベル・チャンというイギリス領香港、生まれの女性監督の作品でアメリカで監督の勉強をしてこの作品を作った。女性監督ならではの視点で描かれていて実にすばらしかった。それにデザイナーの衣装が素晴らしい豪華な衣装達のオンパレードも見事だった。
そして、喜多郎とランディ・ミラーの音楽も素晴らしかった、また4000点ものこの映画のためにためだけに作られたワダ・エミの衣装もすばらしかった。
さて、ストーリィーだが最初に言って置くがこの三姉妹は露齢(アイレイ)、慶齢(ケイレイ)、美齢(ビレイ)の仲の良い宋家の三姉妹の激動の物語だ、長女の露齢(アイレイ)は孔子の直系の子孫を名乗る孔祥煕という財閥の御曹司と結婚しただけで、抗日戦の時と蔣介石が飛行場に降りられなくて困った時に南京中の自動車を集めて着陸灯がわりにした以外にはそれということのない女性だからそれくらいにしておこう、もう一つアメリカに移り住んだあとで1950年にニクソンが上院議員選挙に出た時に100万ドルの選挙資金を寄付して、カルフォルニアの華僑の票をとりまとめてニクソンを助けて有名になったが、祖国の中国をはなれた離れた後の話だからこれくらいにしておこう。
次女はあの辛亥革命を成功させて清朝の中国支配を終わらせて中国国民を解放したあの孫文の妻になった女性でこの映画のメインキャストでこの女性は孫文の中国の全勢力が一致団結して中国を治めなければならないという、孫文の遺言に従って中国共産党に対する国民党軍の弾圧に対して蒋介石を糾弾した慶齢という女性を中心にした映画と言っても過言ではないだろう。
彼女は中国共産党の副首席(スケベ毛沢東の次に偉い人)になり晩年は中国共産党の名誉首席になり、長年の苦労が報われた。
三女は蒋介石の妻になった女性で国民党軍が中国共産党軍に負けて中国を離れて台湾に逃げる時に蒋介石に従って台湾に逃げて、蒋介石が死んだ後はアメリカに移り住んでくらしている。1998年に101歳になった今も美齢は生きているそうだ。
一人は孫文の妻になり、もう一人は蒋介石の妻になっているのだから中国現代史もこのブログにはちりばめさせてもらう。
だいぶ前置きが長くなったから、今度こそストーリーに入らせてもらうがまずチャーリー宋がどうやって財をなすことになったか、そこからか書き起こすことにしよう。
1827年頃にチャーリー宋はアメリカに留学してクリスチャンになるそして、帰国後に聖書の印刷で財産を作った。
そして、1890年に倪桂珍と結婚して名家の仲間入りをはたす。また、革命思想の信奉者で孫文の親友でもあった。そして、91年に長女、露齢が生まれ93年に慶齢が生まれる。94年に日清戦争が起こり97年に三女、美齢が生まれる。
チャーリ宋は自分の経験に鑑みて自分の子供達をアメリカに留学させることにした。まず露齢賀1904年に留学して1907年に慶齢と美齢がアメリカに留学した。
そして、1911年に辛亥革命が起こり12年には清朝が滅亡して中華民国が成立して孫文が臨時大総統に就任した。しかし、1913年に孫文は袁世凱に追われて日本に亡命した。同じ年に露齢は孔子の75代目の子孫を名乗る孔家の御曹司と結婚した。その後の秘書としてアメリカから帰国した慶齢が秘書になった。
そして、1915年に慶齢は孫文と親の反対を押し切って結婚した。1916年に袁世凱の死亡によって孫文と慶齢は中国に帰国した。言いわすれたが孫文と慶齢は京都で梅屋庄吉(日活創業者の一人)の・トクの援助があった。同じ京都府民として京都府の人間があの孫文や周恩来首相とかを援助していたと思うと誇らしい、いずれ敵、味方に別れて戦うことに日本人が中国の国父といわれる孫文と宋慶齢の結婚式に参加して祝福しているところは微笑ましかった。
それから、中国に帰国した孫文は広東に臨時政府を樹立したが、国内の政情は不安定で軍閥によるクーデターが起こり、孫文は若き日の蒋介石に助けられたが慶齢は逃亡中に流産してしまい
二度と子供の生めない体になってしまった。
軍閥に頼らない近代的な軍隊を作ることの必要性を感じた孫文は黄埔軍官学校を設立しその校長に蒋介石を据えるのだった。露齢は美齢に「これで蒋介石は権力者に登りつめる校長に逆らうものはいない」といったがそれは間違いだった。
この黄埔軍官学校の卒業生の中には中国共産党の幹部になって蒋介石の国民党軍と凄惨な6回の凄絶な包囲討伐戦や長征やこれまた凄絶な国共内戦に中国共産党軍の指揮をして国民党軍を台湾に追い払ってしまうのだから、中国共産党と国民党軍が提携したのは第一次国共合作と抗日戦の時だけで、あとは敵対を続けた。この黄埔軍官学校の設立に貢献したのが孔家と宋家の経済力と富の力だった。
1925年に孫文がわずか58歳の若さで死んでしまうと、1926年に国民党軍による北部の軍閥を倒すための北伐が開始されると蒋介石が総司令に就任した。1927年上海クーデターで国民党に共産党員が殺されると中国共産党と国民党は仲たがいしてしまった。以後1937年まで両者が歩み寄ることはなかった。この年に美齢は蒋介石と30歳で結婚した。
1927年に蒋介石と慶齢は中国共産党員に対しての弾圧をめぐって孫文の中国の全勢力との共闘という、孫文の遺志に反していると、激しく対立した時に美齢が力の限り慶齢を守った。
その年に慶齢は中国を離れてモスクワに行って中国共産党に対する援助を願い出た。ソ連からは
コミンテルンの顧問が派遣された。まあ、あまり中国共産党の革命の役にはたたなかったがこれがソ連が中国共産党にした唯一の援助だった。
国民党政権が誕生すると、凄絶な6回に及ぶ包囲討伐戦が始まった。そして中国共産党軍は中国各地にソビエト地区を作って国民党軍と戦った特に国民党軍が目の敵にしたのが毛沢東の指揮する井岡山に根拠地を作っている。共産党軍だった。
1929年には孫文の国葬の出席のために帰国したが、またベルリンに帰ってしまった。
あまり関係ないのだが、毛沢東の指揮する井岡山の共産党軍は5回の反包囲討伐戦には勝利したものの6回目の反包囲討伐戦には負けて1934年に世界的に有名な長征を始めて2年の間中国の奥地を2年もさまよって中国人が今まで知らなかった色々な少数民族がいるのを始めて知って中国共産党の政策も大きく変更された。
この長征ではつり橋の板を国民党軍に外されて決死隊を組織して戦闘をして渡ることもあったり、中国人に反感を持つ少数民族に丈の高い草の生えている、湿原で攻撃されて仕方なく戦闘をすることもあった。なんとか西の方の安西という軍閥の支配して地帯になんとかたどりついた。
その1936年にいつまでたっても中国共産党に対する攻撃ばかり繰り返して侵略してきた日本軍に対して戦わない蒋介石に腹を立てた張学良に捕まる西安事件が起こった。
その時に夫の蒋介石に抗日戦を共に中国共産党と戦うことを約束させて蒋介石を救ったのが美齢だった。
最初に日本軍が連戦連勝というのは当たり前のことだ、蒋介石の国民党軍が必死になって共産党軍と戦って日本軍と真剣に戦わなかったのだから、抗日戦が始まって国民党と共産党が協力して1937年に中日戦争が始まると、日本軍はたちまち泥沼にはまり込んでしまった。
共産党軍は日本軍に八路軍と言って恐れられたそうだ。まあ、あのバンザイ突撃とアメリカ軍に言われた日本軍の戦い方と国民党軍との熾烈な戦いで鍛え上げられたゲリラ戦を得意として孫子の兵法を基本として緻密な作戦の基にたたかう共産党軍では、まるで勝負にならない!!
1945年に日本が敗戦すると国民党政府は僕の読んだ毛沢東と言う本によると、共産党軍に熟れて摘み取られるのを待つ果実のようだったそうだ。
この抗日戦の時の時だけに戦争孤児の救援のために三姉妹は行動を共にした戦地を慰問する”宋家の三姉妹,,は”国共合作、、と抗日戦の象徴だった。
三姉妹が公式の場で会うのは10年ぶり,こうして3人でひとときの時間を共有しつつ、密かに恐れていた、この3人の時にいつしか別れの時が訪れるのをだと。
この時が宋家の三姉妹が同じ道を歩んだのはこれが最後となった。露齢は1948年ニューヨークに移住し、国共合作が日本軍が敗戦した後に崩壊して1946年に国共内戦に突入して1949年に国民党軍が中国共産党軍に中国を追い出され台湾に移った時に蒋介石と共に美齢も台湾に逃げ、蒋介石の死後にニューヨークに住み。
1931年に母の死後に中国に住んで最後まで中国に残ったのは慶齢だけだった。これで壮大なメロドラマ的な映画もこれで終わりだ。
中国現代史を知っている僕にはじつに面白かった。中国現代史を知っている、つもりだったが宋家の三姉妹のことはまったく知らなかった。おそらくブルジョワ嫌いの中国共産党に存在をけされたのだろう。
中国近代史と現在史をちりばめてこのブログを書かしてもらったが。ほとんどの人は中国近代、現在史をしらないだろうし、慶齢は孫文と結婚しているし、美齢は蒋介石と結婚しているのだからこの中国近代、現在史を外すとストーリーがわからなかっただろうし、あえて書かしてもらった。
この作品はスケールの大きいすばらしい映画だった。
 
 
 

ある日のことMr坂本が近くの安売りスーパーに買い物に行きました。このスーパーは実はとんでもないスーパーでその社長は元暴力団の幹部で、大企業や中小の卸業者を脅して安く商品を卸させていたとんでもないスーパーだったのです。

そして、Mr.坂本、もただ者ではなかったのです。いつもは、物腰も優しい紳士で丁寧にしゃべるが

理不尽なことで怒らせると、いきなり父親が大阪生まれのこてこての関西人でお祖父さんが広島の生まれで母親が広島の生まれであることなど感じさせない、口汚い関西弁で喋りだしてしまう。

これは高校時代の喧嘩別れした友達が本人いわく「おれは北河内の出身だ。」といつも自慢していた。この元友達の影響からか、関西弁の中の口汚い大阪弁で喋りだし相手が理不尽なことを言うと、たちまち喧嘩早く、攻撃的な性格にも変わる、ジギル博士とハイド氏またの例をいえば、まさに羊の皮を被った狼のような性格であるだけではなく、愛読書のシャーロック・ホームズシリーズに出てくるシャーロック・ホームズ探偵に憧れて、いざという時にはボクシングと柔道で自分の身を守れて、今や難関と言われる司法書士の試験に合格し民法と刑法と刑事訴訟法などの法律にくわしく困っている人を法律で守ってあげたりするいい人なのだが、熱情的になり、また口論中にも今は法律的に自分の立場が有利かきわめて冷静に判断できて、これは法律的に有利だとおもった時には、すぐに裁判に持ち込むのが玉の傷という、こういう人物だったのです。

そのMr坂本が、そのとんでもない安売りスーパーに買い物にいくと(ちなみに彼は法律の高みに住んでいるから、ほかのことには無頓着であまり気にしない性格でよく失敗している。)

急いでいたのでマグロのトロとあじを間違えて買い物籠のなかに入れてしまった。そして、お金を払うときにあまりの値段におどろいて、よく見たらあじを買うつもりが隣のマグロのトロを買い物籠に入れていたのである。

こんなとき、普通のスーパーならこんな時にはすぐに交換してくれるのだが、この安久本スーパーではこんな時に怖そうな兄ちゃんが出てきて店の奥に連れて行かれて、因縁をつけられて「マグロのトロが手で触られてトロの新鮮さが落ちたからこのトロをかってもろおかい」

とか言われて無理やり高い物を買わされて周辺住民は迷惑していて非常に困っていたが、相手の社長が元暴力団の幹部で、こわ面の社員を店の奥にいつもスタンバイさせているし、警察もなかなか取り締まれないと、きているからいるからみんな泣き寝入りしていた。

こんなスーパーで、Mr坂本は買うものを間違えてしまったのである。レジでアジとマグロのトロを間違えたから交換したいというと、たちまちレジのおばさんが店の奥に通じるボタンを押して店の奥の特別室に待機している、こわ面のにいちゃんをよんだ。

そして、すぐにいかにも元か今も現役のヤクザと明らかに思われるこわ面のにいちゃんが3人も現れてMr坂本を店の奥の特別室に連れて行って、「今日もいつもの手でこいつからマグロのトロの値段を払わせてやると」心の中で「今日も鴨がねぎしょってきおったわい」と3人のこわ面のにいちゃんたちは、心のなかでほくほくしていた。

さっそくMr坂本を店の奥の特別室に連れて行って、さっそく脅しをかけはじめる。Mr坂本は恐れるどころか、このヤクザという人種に今までの人生で出会ったことはないから、ヤクザというこの珍しい生き物をゆっくり観察するのに集中していて、こわ面のにいちゃん達の怒鳴り声なんかちっとも耳に入らない。

ついに、3人のこわ面のにいちゃん達は腹を立てて、Mr坂本に殴りかかった、ところが1人目はMr坂本に見事に一本背負いで投げ飛ばされて気絶してしまった。

3人のこわ面にいちゃんのうちの残り2人は「こいつやりやがるぞ、気をつけろ」「やっつけろ」と言って殴りかかったが2人目は見事なアッパーカットが顎に決まって見事にノックアウトだ。3人目は、見事にはらい腰が決まって見事に一本だ。

Mr坂本は平然とまるで何事もなかったかのように立っていたが一言「なんて店だ暴力に訴えるとは馬鹿な連中だ」と言って。店の奥の特別室から何事もなく出ていった。店の人間はえらく早くMr坂本が出てきたが誰も気にもとめなかった。

Mr坂本は、「なんと不愉快な目に遭ったものだ!!こんなスーパーなんか二度と来るものか」とぷんぷん怒って帰っていった。

Mr坂本はその足で警察の民事介入暴力の担当者に安久本スーパーで脅してアジを買いに行った人間が間違えてマグロのトロを買い物籠に入れてしまうとマグロのトロをの鮮度が悪くなったと言ってアジを買いに来た人間に強引に脅しをかけてマグロのトロを買わしていると、警察の担当者に被害届けを出し、安久本スーパーでの大立ち回りのことを告げて安久本スーパーの手口を警察の担当者に告げた。

警察の民事介入暴力(こういうことをきいても民事介入暴力という言葉がなんのことかわからないうから説明するが、分かりやすく説明すると暴力団によるみかじめ料(分かりやすくいえばバーとかクラブとか風俗営業の店に問題がおこったらちゃんとしてやるから月50万くらいを払えと脅すこと)の徴収とか株式総会に暴力団が影響力を発揮したり機関紙を勝手に発行してそれを大会社を脅して法外な購読料を毎月払わしたり色々な手口がある。

ほかにも闇金融も広い意味の民事介入暴力の一種だ。)

この場合も安久本スーパーの社長が元暴力団の幹部だから民事介入暴力の一種と警察は見なす。しかも経営方針と手口が暴力的だから当然に民事介入暴力の一種に入る。

警察はこういう行為を禁止して暴力団を封じ込めに入り日々、努力しているのだが暴力団を押さえ込むことに残念ながらいままで成功していない。

暴力団も新手の手口を開発していて、警察と暴力団のいたちごっこの状況を脱していない。全国の有力な暴力団を指定暴力団に指定して暴力団の壊滅にあたっているのだが現状は壊滅にはいたっていない。

まあ、こんな難しいことはそんなことにして、話を元に戻すがMr坂本が帰っていったあと、安久本スーパーではMr坂本にこてんぱんにやられた、こわ面の兄ちゃん達はやっと3時間も経ってからやっと目を覚ました。

兄ちゃん1「まるでどうしたんだかわけがわからない!!あんな小男になんであんな簡単にのされてしまうなんて!!」

兄ちゃん2「奴はなんてあんなに強いんだ!!俺なんかアッパーカットを顎にくらってノックアウトされちまった。」

兄ちゃん3「俺も簡単に投げ飛ばされちまった。あんなに強い奴に出会ったことはない。」

と3人が不思議がるのも当然のことMr坂本は身長が158センチしかなく、こわ面の兄ちゃん達は178センチ以上もある巨漢なのに3人とも簡単にかたずけられてしまった。

読者にはこんな巨漢が簡単にのされたのが不思議だろう。‘柔道では柔よく剛’を制すといって相手の力を利用して自分よりかはるかに体格のいい人間を投げとばすことが理想とされている。

だからオリンピックや世界選手権でも日本人選手が体格にまさる外国人選手を投げ飛ばすことがよく起こるのである。

もっとも、外国人選手の間ではJUDO=柔道という一本にこだわらない柔道が主流になってきている。指導でも警告でも技ありでもとにかく相手よりかとにかく先にポイントを取って有利に試合を進めていくことが主導的になってきている日本でのJUDOの第一人者は石井彗だ!

もう、斉藤コーチとの確執で柔道選手ではなくなったがたが彼の柔道は日本のほかの選手と違って、きれいな一本を取る柔道ではなく泥臭くどんなポイントでもいいからポイントを相手より先に取って試合を有利に進めるという外国人選手のような柔道だった。いま彼は総合格闘技に挑戦中である。

ボクシングは余り詳しくないのでよくわからないが、むかしガッツ石松というボクシングの選手がいた。彼も体格に恵まれない選手だったが世界チャンピオンになった選手だった。だからMr坂本も体のでかいこわ面の兄ちゃんを簡単に打ちのめすことができるのである。

とにかく3人のこわ面の兄ちゃんは安久本社長の所に行って、小男に3人とも簡単にのされてしまったことを安久本スーパーの社長に話をした。

安久本社長「なんだとお前達3人がかりで小男のおっさんに、手もなくのされるとは、なんというていたらくだ!!何のためにおまえらに高い給料を払っていると思っているんだ!!」と安久本社長は3人のこわ面にいちゃんを叱りつけた。

こわ面兄ちゃん1「社長そうはおっしゃられますがあのおっさん本当に強いです。俺たち3人が一斉に殴りかかっていったのに何がなんだか分からないうちに投げ飛ばされて、反対に殴りかえされてしまいました。あんなに強い奴は見たことがありません。あいつにはかかわらないほうが身の為です」

こわ面兄ちゃん2「その通りです。あっしなんか奴に殴り掛かっていったのに、反対に顎に一発くらいまして、あんな強い奴には関わらないほうが身の為です。」

こわ面兄ちゃん3「あっしも簡単に倒された口です。あっという間に倒されてしまいました。」

と3人は口を揃えて安久本社長に言いました。

安久本社長「いや、このままにして置くものか!!かならず、おとしまえをつけてやる!!」と安久本社長はいきまいた。

その頃、警察はMr坂本の被害届けを受けて安久本スーパーの周りを捜査した。聞き込みをすると安久本スーパーの悪どい商法が次から次へと明らかになった。

アジを買いにいったのに、こわ面兄ちゃんに店の奥の特別室に連れて行かれてマグロのトロの鮮度が落ちたからと、交換もしてくれず無理やりマグロのトロを買えと、こわ面兄ちゃんに脅されたとか、大企業や中小企業の卸業者が安久本スーパーに脅されて安い値段で安久本スーパーに卸させられたとか、調べれば、調べるほど次から次へと山のように事実が出てくるのに京都府警は驚いて安久本スーパー特別対策本部を設置して捜査に当たれせることにした。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


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