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2008年2月15日オープン
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3月26日も甲子園に高校野球の観戦しに行った。

この日は悔しくも最高でもない普通の1日だった。

 

第1試合は興味がないから振り返らない。

 

2試合は大阪府代表の大阪桐蔭高校と

佐賀県代表の伊万里高校との試合となった。

 

大阪桐蔭は1回裏から打者一巡の猛攻を開始した。

1番の宮崎選手が左中間を破るツーベースヒットで出塁し、

2番の青地選手のセンター前タイムリーヒットで1点を取り、

次の中川選手とその次の藤原選手が連続レフトフライで

ツーアウト1塁として、2塁に盗塁を成功させて

ツーアウト2塁として、5番の根尾選手の左中間を破る

タイムリースリーベースヒットで1点を取り、

6番の石川選手のレフト線へのタイムリーヒットで

1点を取り、7番の山田選手のレフト前ヒットの時に

1塁ランナーが3塁に進み、1塁ランナーが盗塁を

成功させてツーアウト2,3塁として、8番の小泉選手の

レフト前2点タイムリーヒットで5-0とした。

 

2回裏にも大阪桐蔭は1番の宮崎選手がライト線を破る

ツーベースヒットで出塁し、次の青地選手の

ライトフライで2塁ランナーがタッチアップで3塁に進み、

3番の中川選手のレフト前タイムリーヒットで1点を取り、

4番の藤原選手のライト線を破るツーベースヒットで

ワンナウト2,3塁として、5番の根尾選手のセンター前

2点タイムリーヒットで8-0とした。

 

4回裏にも大阪桐蔭は3番の中川選手がショートゴロ

エラーで出塁し、4番の藤原選手はライト前ヒットで出塁し、

5番の根尾選手のサードゴロエラーで出塁して

ノーアウト満塁として、6番の石川選手のレフト前2点

タイムリーヒットで2点を取り、レフトが打球を後逸する間に

1塁ランナーもホームに生還して1点を取り、打者走者は

3塁に進み7番の山田選手のライトへの犠牲フライで

12-0とした。

 

6回裏にも大阪桐蔭は7番の山田選手がレフト線を破る

ツーベースヒットで出塁し、ワンナウト2塁として、

8番の小泉選手のライト前ヒットでワンナウト

1,3塁として、ここで西谷監督は勝負に出た、

まあこの点差ならその必要はないと思うのだが、

好投していた柿木投手の打席の時に代打の井坂選手を送った。

その井坂選手のライトへの犠牲フライで13-0とした。

 

7回裏にも大阪桐蔭は2番の青木選手がセカンドへの

内野安打で出塁し、3番の中川選手がライト前ヒットで

ノーアウト12塁として、次の藤原選手がセンターフライで

ワンナウト1,2塁として、次の根尾選手のライトフライで

2塁ランナーがタッチアップで、3塁に進みツーアウト

1,3塁として、6番の石川選手のレフト前

タイムリーヒットで14-0とした。

 

伊万里の反撃は8回表から。

6番の山口選手がファアボールを選んで出塁し、

7番の末吉選手のレフトオーバーのタイムリーヒットで

1点を返して14-1とした。

 

9回表にも伊万里は1番の犬塚選手がレフト前に

スリーベースヒットを打ちノーアウト3塁として、

2番の河村選手の代打の前川選手の左中間を破る

タイムリーツーベースヒットでもう1点を返して

14-2とした。

意地の2点を返したが伊万里の反撃もそこまでだった。

 

伊万里が点を取った時は甲子園球場全体が伊万里に

声援を送っていた。

甲子園球場の高校野球ファンは伝統的に

負けている高校を応援する。

もちろん大阪桐蔭が負けては困るが、伊万里に

1点を挙げて欲しいとみんなが思った。

 

結局のところ14-2の大差で大阪桐蔭高校が勝利した。

 

それにしても20安打14得点とは凄い、さすがは

優勝候補の実力をいかんなく発揮した試合だった。

 

3試合は岩手県代表の花巻東高校と

愛知県代表の東邦高校の試合となった。

 

花巻東の好投手と公式戦で23本塁打東邦の試合で

好試合を期待した。

この日のメインイベントとも言う、好試合を期待

していたがふたを開けて見たら意外な結果になった。

 

1回裏に花巻東は1番の菅野選手がデッドボールで出塁して

ピッチャーの暴投の間に2塁にランナーを進めて、

2番の谷選手のサード前への犠牲バントで3塁に

ランナー進めてワンナウト3塁として、3番の阿部選手が

ファアボールを選んでワンナウト1,3塁として、

4番の紺野選手のショートゴロをエラーしてしまうという、

堅守の東邦ではあり得ないことが起こってしまった。

ショートが打球を弾く間に3塁ランナーがホームに生還して、

労せずして花巻東に1点が入り1-0とした。

 

4回裏にも花巻東は5番の中村選手がファアボールを

選んで出塁し、6番の上戸鎖選手のピッチャー前

犠牲バントで、ファーストが1塁ベースを

踏み忘れてしまうという東邦にはあり得ないミスで

オールセーフになりノーアウト1,2塁となった。

東邦ファンでもある僕は目の前での東邦の内野陣の

連続エラーが信じられなかった。

7番の菅原選手のファースト前への犠牲バントで

ワンナウト2,3塁として、8番の田中選手のライト前

2点タイムリーヒットで3-0とした。

 

東邦は6回表に東邦は2番の林選手がライト線を破る

ツーベースヒットで出塁し、3番の洞田選手が

ファアボールを選んで出塁して、暴投の間に

2塁ランナーが3塁に進み、ワンナウト1,3塁とした、

次の石川選手のサードゴロでやっと1点を返して3-1とした。

 

7回裏に花巻東は9番の佐藤選手がファアボールを

選んで出塁し、1番の菅野選手のファースト前への

犠牲バントでワンナウト2塁とした、2番の谷選手の

ライト前ヒットでワンナウト1,3塁とした、

3番の阿部選手のセンター前タイムリーヒットで4-1とした。

 

8回裏にも花巻東は6番の上戸鎖選手がライト線を破る

ツーベースヒットで出塁し、7番の藤森選手の

ファースト前への犠牲バントでワンナウト3塁として、

8番の田中選手のレフト前タイムリーヒットで5-1とした。

 

東邦の本格的な反撃は9回表からだった。

 

5番の梅田選手がレフト前ヒットで出塁しピッチャーの

暴投の間に2塁まで進みワンナウト2塁とした、

6番の山本選手がファアボールを選んで出塁し、

ワンナウト1,2塁とした。

7番の北川選手のセンター右を破るタイムリー

ツーベースヒットで1点を取り、

なおワンナウト2,3塁として、次の稲留選手の

サードゴロで1点を取り5-3としたが反撃も

そこまでだった。

 

やっと最後に東邦らしい攻撃が見られたと

甲子園球場が盛り上がったが、もうすでに反撃が

遅すぎた感がある。

もっと早く反撃していればと思うが。

今大会の東邦は守備のミスが多すぎた!!

堅守の東邦が3つもエラーするなんて信じられない!!

夏にはもっと守備を鍛え直して、春の悔しさを

晴らして欲しい。

今日はまあ好きな高校が勝ち上がったいい1日だった。

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この日の振り返りは第1試合しかしない。

それは智弁和歌山と智弁学園が勝ったからだ!!

本当に最悪な1日だった。

 

さて第1試合は高知県代表の明徳義塾高校と

千葉県代表の中央学院高校の試合となった。

 

秋の神宮大会の決勝の再現であり明徳義塾には

好投手の市川投手がいて、中央学院は初出場ながら

秋の関東大会のチャンピオンであり注目された

試合だったが、市川投手が高校野球ファンなら

誰もが知っている好投手だけに、点差の接近した

投手戦だと思われていたがふたを開けて見れば

壮絶な打ち合いの試合となった。

 

明徳義塾は1回裏に1番の真鍋選手が

ファアボールを選んで出塁し、2番の田中選手の

ピッチャー前の犠牲バントをピッチャーが

2塁でアウトにできると思ってセカンドに送球したが

オールセーフになりノーアウト1,2塁として、

3番の渡部選手がピッチャー前の犠牲バントで

ランナーが2,3塁に進みワンナウト2,3塁として、

次の谷合選手がショートゴロで、3塁ランナーが

ホームに突っ込んだがアウトになりツーアウト

1,3塁として、5番の中隈選手がレフト前

タイムリーヒットで1点を取り、1塁ランナーが

3塁に進み、センターがサードに送球の間に

打者走者が2塁に進みツーアウト2,3塁として、

6番の安田選手がセンターオーバーの2点

タイムリーツーベースヒットで3-0とした。

 

好投手の市川投手が投げるのだからこれで

勝負は決まったかと思ったが、さすがに中央学院も

凄い粘りを見せてと言うよりも、試合をひっくり返して

主導権を握る事になるとは思わなかった。

 

4回表に中央学院は反撃を開始した。

2番の平野選手がライト前ヒットで出塁し、

宇田選手が右中間を破るタイムリー

ツーベースヒットでまず1点を返した。

 

8回表に中央学院は1番の大谷選手が

ファアボールを選んで出塁し、平野選手と宇田選手が

連続四球で出塁してワンナウト満塁にして、

4番の高鹿選手のレフト前2点タイムリーヒットで

3-3の同点とした。

なおも中央学院の攻撃は続く、ワンナウト

1,2塁として5番の池田選手がファアボールを

選んで出塁してワンナウト満塁として、

次の長沼選手がスリーバントスクイズに失敗して

ツーアウト満塁として、7番の西村選手の

センター前2点タイムリーヒットで3-5と逆転した。

 

8回裏に明徳義塾は3番の渡部選手がファアボールを

選んで出塁したが4番の谷合選手が併殺打を打って

しまいツーアウトランナー無しとなってしまった。

しかし5番の中隈選手がセカンドへの内野安打で

出塁しツーアウト1塁として、6番の安田選手の

レフト前タイムリーヒットで4-5とした。

 

9回裏に明徳義塾は2番の田中選手がセンター前

ヒットで出塁し、3番の渡部選手がデッドボールで

出塁し、ツーアウト1,2塁として4番の谷合選手が

この試合で4回ともノーヒットだったが、

9回裏ツーアウトとされた大事な場面で4番の

仕事をして、起死回生のサヨナラスリーラン

ホームランで7-5としてドラマティックな

勝ち方で勝利した。

 

明徳義塾はもうこの試合に負けると思ったが、まさか

最後にこんなドラマが待っているとは思ってもみなかった。

これが高校野球の醍醐味と言うものだろう。

野球は9回ツーアウトからとよく言われるが

本当にその通りだと思う。

中央学院もよく頑張ったと思う。

一時は見事な逆転劇を見せてくれた。

確かにレベルの高い関東大会のチャンピオンチーム

だけのことはある夏の選手権大会に

また出てきて欲しい高校だった。

 

最後に書き忘れるところだったが、明徳義塾の

馬淵監督は勝利インタビューで野球は怖いと

さかんに言っていた。

あの好投手の市川投手が5点も取られるところも怖いし、

この試合で4回も打てなかった4番の谷合選手が

ツーアウトと追い込まれながら最後に

サヨナラスリーランを打って勝利してしまった。

 

この試合を振り返ると甲子園で50勝している

馬淵監督でもやはり予想外のことは怖いんだなと思った。

試合が始まる前に好投手の市川投手が5点を取られると

誰が思っただろうか!!

良くて3点ぐらいだと思っていた。

さすがに試合はやってみないと分からないものだ。

323日に甲子園に高校野球を観戦しに行った。

最高な1日だった。

何と言っても応援している高校がみんな勝ったのだから、

こんな日めったにない。

初日からこんな1日なのだから今年は楽しみだ。

 

第1試合は福島県代表の聖光学院高校と

福岡県代表の東筑高校の試合となった。

 

1回表に聖光学院は1番の田野選手がセンター前ヒットで

出塁し、次の横堀選手がサードゴロでワンナウト2塁

として3番の矢吹選手がファアボールを選び

ワンナウト1,2塁として、キャッチャーが

ピッチャーの送球が取れずに後逸して

ワンナウト2,3塁として次の五味選手のサードゴロで

3塁ランナーがホームに突っ込んでバックホームされて

ホームでアウトになりツーアウト1,3塁として、

5番の須田選手の左中間へのタイムリーヒットで先制した。

 

 東筑の得点シーンはいっさい振り返らない。

1回裏に1-2と逆転された聖光学院は2回表に反撃した。

7番の星選手がセカンドゴロでワンナウトになったが、

8番の大松選手がレフト前ヒットで出塁し

9番の上石選手のピッチャー前の犠牲バントを

ピッチャーがバント処理をミスして、セカンドへの

悪送球をして1塁ランナーが3塁に進みバントをした

上石選手まで1塁に出塁してワンアウト1,3塁として、

1番の田野選手のレフトへの犠牲フライで同点した。

 

3回裏に2―3と逆転された聖光学院は5回表に反撃した。

3番の矢吹選手がライト前ヒットで出塁して

4番の五味選手がライト前ヒットを打った時に、

ヒットエンドランが掛かっていて1塁ランナーが

一気に3塁まで到達して、ノーアウト1,3塁として

5番の須田選手のセンターへの犠牲フライで3-3の同点とした。


9
回表に聖光学院は9番の高坂選手が

レフト線へのヒットで出塁し、1番の田野選手の

サードへの犠牲バントでサードがファーストへ

悪送球の間に1塁ランナーは3塁に進み、

バッターも2塁に進みワンアウト2,3塁として、

2番の横堀選手のセカンドへのバントヒットで

1点を取り、セカンドがファーストへ

悪送球をする間に2塁ランナーもホームに帰り

-3と聖光学院がこの試合に勝利した。

 

 第2試合は栃木県代表の国学院栃木高校と

香川県代表の英明高校の試合となった。

 

1回表に国学院栃木は1番の近藤選手がサードゴロで

ワンナウトランナー無しとなり、2番の大栗選手が

デッドボールで出塁し、3番の青木選手のライト線

ヒットをライトがファンブルする間に1塁ランナーが

一気にホームに帰り先取点を取り1-0とした。

 

3回表に1番の近藤選手がレフト線を破る

ツーベースヒットで出塁し、次の大栗選手が空振り三振で

ワンナウト2塁となり、3番の青木選手の

センター前ヒットでワンナウト1,3塁として、

次の島田選手のサードゴロで3塁ランナーが

ホームに突っ込んでアウトになりツーアウト

1,2塁となり、5番の毛塚選手の右中間を破る

2点スリーベースで3-0とした。

 

4回裏に英明も反撃した。

4番の千原選手がファアボールを選んで出塁し、

次の中村選手がセンターフライでワンナウト

1塁として、6番の黒河選手のライトオーバーの

ヒットで1塁ランナーが3塁に到達してワンアウト

1,3塁として、7番の山上選手ファアボールを選び

ワンナウト満塁として、8番の山下選手が押し出しの

ファアボールを選び3-1として、9番の中川選手の

ピッチャー強襲のタイムリーヒットで3-2としたが

反撃もそこまでで国学院栃木が3-2と勝利した。

 

 第3試合は茨城県代表の明秀学園日立高校と

広島県代表の瀬戸内高校の試合となった。

 

瀬戸内は1回裏に3番の東翔選手が右中間へのヒットで

出塁し、暴投の間に2塁に進みツーアウト2塁として、

4番の門叶選手がファアボールを選びツーアウト

1,2塁として、5番の浴本選手もファアボールを選び

ツーアウト満塁として、6番の大本選手がファアボールを

選び押し出しのファアボールとなり1点を先制した。

 

明秀日立の反撃は3回表から。

2番の北野選手がライト線を破るスリーベースで出塁し、

次の池田選手がセンターフライを打ったがタッチアップ

はできずワンナウト3塁として、4番の芳賀選手が

ライトオーバーのタイムリーツーベースヒットで

1-1の同点とした。

 

3回裏に瀬戸内は3番の東翔選手がデッドボールで出塁し、

4番の門叶選手のセンター前ヒットで1塁ランナーが

3塁まで進みノーアウト1,3塁として、次の浴本選手が

三振でワンナウト1,3塁として、次の大本選手が空振り

三振でツーアウト1,3塁としたところで瀬戸内は

機動力を使ってきた1塁ランナーが2塁、

盗塁を試みた1塁ランナーが1、2塁間に挟まれる間に

3塁ランナーがホームに生還して1-2とした。

 

4回裏にも瀬戸内は8番の井上選手がセンター前ヒットで

出塁し、9番の伊藤選手がファーストへの犠牲バントで

ワンナウト2塁とした。次の名原選手がサードゴロで

ツーアウト2塁として、2番の新保選手の左中間を破る

タイムリーツーベースヒットで1-3とした。

 

明秀日立の反撃は5回表から。

3番の池田選手がファアボールを選び出塁して

ワンナウト1塁として、ボークで2塁に進み

ワンアウト2塁として次の芳賀選手のセカンドゴロで

3塁に進みツーアウト3塁として、暴投で

3塁ランナーがホームに生還して2-3とした。

 

9回表にも明秀日立は8番の有住選手がレフト前

ヒットで出塁し、9番の高田選手の代打の佐伯選手の

ライト前ヒットの時に1塁ランナーが3塁に進み

ノーアウト1,3塁として、1番の増田選手の

ライト前タイムリーヒットで3塁ランナーが

ホームに生還して3-3の同点とした。

なおノーアウト12塁として、2番の北野選手が

ピッチャー前の犠牲バントでワンアウト23塁として、

3番の池田選手がセンターへの犠牲フライで

3塁ランナーがホームに生還して4-3として

そのまま勝利した。

 

やはり最後は実力のある高校が勝つものだと思った。

そりゃ明秀日立高校は初出場とは言っても、

秋の関東大会で上のほうまで勝ち上がるのだから

瀬戸内高校とはレベルが違う。

やはり広島県は広陵高校が出てこなくちゃならない!!

広島商業高校が商業高校であるために男子生徒の

確保が難しいとなれば、広陵高校しかないこの2校以外で

優勝している高校は数少ない。

戦前からこの2校が広島県の高校野球を牽引して来たと

言っても過言ではない。

夏の選手権大会にはまた出てきてくれることを期待している。

つづいて第5次川中島の戦いに移る。

戦いの最終戦である第5次川中島の合戦は1564年に始まった。

別名塩崎の対陣ともいう。

 

上杉輝虎(上杉政虎さんが1581年末に将軍義輝の

1字をもらい輝虎と改名した)上杉様虎さんは川中島に出陣したが

信玄は戦いを避け、塩田城に布陣してにらみ合いで終わった。

 

飛騨の国の国人衆同士の戦いが起こった。

上杉・武田氏の戦いに相関し、飛騨国人衆の三木良頼・

三木白綱親子と江間輝盛は江間時盛と対立していた。

1564年に信玄は江間時盛を支援し、上杉輝虎さんは、

三木氏と江間輝盛を支援して介入した。

 

1564年の6月に、信玄は家臣の山県昌景・甘利昌忠の家臣を

飛騨の国に派遣して、これより三木氏と江間輝盛は劣勢になる。

 

1564年の8月に上杉輝虎さんは武田軍の飛騨の国への

侵入を防ぐために川中島に出陣した。

信玄は長野盆地の南橋の塩田城にまで進出したが、決戦を避けた。

2ヶ月に渡って対峙する事になった。

10月に両軍撤退して戦いは終わった。

以後、上杉輝虎さんは関東出兵に力を注ぎ、信玄は東海道と

上野に勢力を拡大していった。

 

これが1534年から1564年に渡って、

中断期間を挟みながら30年の間に戦われた信濃の国を

巡っての戦いの全貌である。

上杉景虎さんは信濃の国を守るために、介入し晴信は

信濃の国を侵略するために介入した。実に長い戦いであった。

 

これで上杉謙信が凄い武将であったことは

納得してもらえたと思う。

4次川中島の戦いの第4次川中島の合戦は

1561年に行われた、別名は八幡原の戦いとも呼ばれる。

1次から第5次の戦いの中で最も大規模な合戦となって

多くの死傷者が出た。

 

川中島の合戦と言えばこの第4次川中島の合戦と言われるほど

有名な戦いだが、前提条件となる外交情勢については

確認されるが実際の戦いの模様は、甲陽軍鑑などの

江戸時代の軍記物語りでしか確認することしか出来ない。

そこで江戸時代の軍記物語元に巷間に知られている

合戦の模様を述べるしかない。

但し歴史的な資料が存在しないので、実際の経過は

実際のところ謎である。

 

しかしながら『勝山記』や上杉家の感状や近衛前久宛文書などの、

4次川中島の戦いを比定する可能性が高い資料が

存在することや1561年を契機に長尾家と武田家の

関係が変わったところからこの年にこの地で激戦が

行われていたことは間違いない。

合戦の背景だが1552年関東管領の上杉憲政は北条氏康との

戦いに負けて、越後国に逃れて長尾景虎さんに上杉の家督と

関東管領の職を長尾景虎さんに譲渡を申し入れていた。

 

1559年に長尾景虎さんは関東管領職就任の許しを得るために

2度目の上洛を果たしていた。

長尾景虎さんは将軍・足利義輝に拝謁して関東管領職就任を

正式に許された。(晴信とはえらい違いだ!!)

晴信は隣の国に侵攻して力で信濃の国の併合を進め、

京の将軍から御教書を持って和睦の使者が来て、

長尾景虎さんと和睦せよと言った時に、和睦の条件として

図々しいことに信濃守護職を要求してやっとこさ

手に入れることができることができたのに比べて、

上杉謙信さん(まだ、長尾景虎と言う名であったがいずれ

上杉謙信と言う名前に変わるのだからもうそろそろ

こう書いてもいいだろう)の方は関東管領の方から

上杉家の家督と関東管領職を譲渡してくれる、

やはり上杉謙信さんの人徳と言う所だろう。

 

やはり人間は正直に生きるのが一番、やはり義のために

生きてきて無駄とも思える、関東の戦いに自ら先頭に立って

毎年・春から戦闘三昧で休む間も少なく戦いつづけて、

本当に関の事を思っていることを思っての戦いを続けてきたのが

誰でも分かるから関東管領職を譲る気になるのだろう。

 

やはり上杉謙信さんは劉備玄徳で武田晴信は曹操だ。

それはさておき、大義名分を得た長尾景虎さんは

関東での戦いに出陣、長尾景虎さん軍勢には関東の諸大名が

付き従って10万人もの軍勢に膨れ上がったそうだ。

北条氏康は戦いを避け小田原城に籠城した。

 

1561年の3月に長尾景虎さんは小田原城を包囲したが、

さすがに天下の名城と言われる小田原城だけあって、

さすがの長尾景虎さんでも守りが堅く攻めあぐねた。

 

北条氏康は武田信玄(1559年に出家して信玄と改名

したそうだ。これからは信玄と呼び捨てにする。)に援助を求めた。

信玄は北信濃に侵攻した。

そして海津城(長野県長野市松代町)を築き

長尾景虎さんの背後を脅かした。

関東諸将の足並みの乱れで関東諸将が、勝手に一部の兵を

撤兵させるのに及んで小田原城の包囲を解いた。

長尾景虎さんは相模の国・鶴岡八幡宮で上杉家家督相続と

関東管領就任の儀式を行い、名を上杉政虎と改めて

越後国に引き上げた。

 

 関東を目指す、上杉政虎さんにとって背後の信濃の国と

越後国との国境を固めるのは急務であった。

そのためにも海津城を攻略して、武田軍を叩くことが先決だった。

1561年の8月に越後国を出発した長尾景虎さん改め

上杉政虎さんは、善光寺を経由して妻女山に布陣した。

 

下に第4次川中島の戦いの関連地図を

載せておいたので参考にして欲しい。

 


甲陽軍鑑などの軍記物語しか、第4次川中島の合戦の

記録がないので甲陽軍鑑に従って、合戦の記述をするが

何分にも平和な江戸時代に書かれた書物だから、

もしかしたら誇張されたりしていることがあることを

先にお断りしておく。

 

まず上杉政虎さんは8月15日に善光寺に着陣した。

荷駄隊と兵5000人を善光寺に残し、

兵13000人を率いて更に南下を続けて

犀川・千曲川を渡り長野盆地の南側にあたる妻女山に着陣した。

妻女山は川中島より更に南にあり、川中島の東にある

海津城に相対する位置にある。

 

信玄は24日に妻女山とは千曲川を挟んで対峙する

塩田城に入ったといわれている。

これにより塩田城と海津城のふたつの城を包囲する布陣になった。

その睨み合いになり、武田軍は戦線硬直を避けるために

海津城に入った。

 

上杉政虎さんの強さを知る信玄は慎重であって、

上杉軍撃滅の作戦立案を山本勘助と馬場信房に命じた。

山本勘助と馬場信房は大規模な兵を二手に分ける、

別働隊の編成を献策した。

この別動隊が妻女山の上杉軍を攻撃し、上杉軍は

勝っても負けて妻女山を下りてくるから、これを平野部で

本隊が待ち受け別動隊挟撃して、撃滅するという作戦だった。

これを啄木鳥が虫に潜む木を突いて虫が驚いて出てきたところを

啄むところに似ているところから啄木鳥戦法と呼ばれた。

 

99日の深夜に高坂昌信と馬場信房が率いる1200人の

別動隊が妻女山を登って行った。

信玄率いる本隊は上野原に鶴翼の陣を布いた。

しかし上杉政虎さんは、海津城からの炊煙が

いつになく多いことからこの作戦を察知し、

上杉政虎さんは静かにして物音をさせないように命令して

夜陰に乗じて密かに、妻女山を下り、雨宮の渡しから

対岸に千曲川の対岸に渡った。

上杉政虎さんは甘粕景持・村上義清・高梨政頼を

渡河地点に兵1000名を置いて武田軍の別動隊に備えさせた。

その間に上杉政虎さんは上野原に布陣した。

 

10日の午前8時頃に、霧が晴れた時に

いるはずのない対岸に布陣する上杉政虎さんの軍勢を見て、

信玄率いる武田軍は愕然とした。

上杉政虎さんは猛将・柿崎景家を先頭に車掛かり

(波状攻撃(間をずらして攻撃をすること)を仕掛ける戦法)で

襲いかかった。

 

武田軍は完全に裏をかかれた形になり、鶴翼の陣(鶴が翼を

広げたように布陣し敵部隊を囲むように布陣して敵部隊を

包み込む陣形)をとったが、信玄の弟の武田信繁・山本勘助・

諸角虎定・初鹿野忠次などが討死するなど劣勢であったと言われる。

 

乱戦の中で手薄になった武田の本陣に上杉政虎さんが

切り込みをかけた。

『甲陽軍鑑』では、白手ぬぐいを頭に巻き、

放生月毛に跨がり名刀、小豆長光を振り上げた騎馬武者が

床几(しょうぎ)に座った家信玄に三大刀にわたり

切立てて、信玄は床几から立ち上がり軍配で受け

御中間頭の原大隈の守が騎馬武者の馬の脚を槍で刺すと

騎馬武者はその場を立ち去り、後になって

上杉政虎さんと知ったという。

 

上杉政虎さんが出家して謙信と名乗るは9年後の

1570年のことである。

 

上杉政虎さんと信玄の一騎打ちだが確実な資料からは

確認されない。

なお、上杉家側の資料である『北越太平記』(『北越軍談』)には

一騎打ちが行われたのが御幣川の家中であり上杉政虎さん

信玄とも騎馬であり信玄は軍配ではなく刀であり

手を負傷して退いたと書かれている。

 

上杉政虎さんに出し抜かれて、もぬけの殻の妻女山を攻撃した

高坂昌信・馬場信房が率いる武田の別働隊は八幡原に急行した。

上杉軍のしんがりの甘粕景持を蹴散らして、午前10時頃に

八幡原に到着した。

予定よりかなり遅くなったが武田の本隊は上杉軍相手に

持ちこたえていた。

武田の別動隊の到着により上杉軍は挟撃されるようになり、

形勢不利となった上杉政虎さんは兵を引き犀川を渡河し、

善光寺に敗走した、信玄も進撃をやめ八幡原に

引き上げたことでこの合戦は終わった。

 

上杉軍は川中島北の善光寺に置いていた兵1000名と

合流して越後の国に引き上げた。

この戦による死者は上杉軍で3000余名、

武田軍は4000余名と伝えられ互いに多くの死者が出た激戦となった。

 

信玄は八幡原で勝鬨を上げさせて引き上げ、

上杉政虎さんは首実検を行って引き上げた。

 

これが4次川中島の戦いの全貌である。

最も川中島の戦いのうちの八幡原の戦いは軍記物語に

頼らないといけないところは不正確だが。

 

 

つづく

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